南三陸と登米みやぎの明治村
陸前の海岸を南下して南三陸へ。東日本大震災から4年が経ち、今後の方向性が見えてきた地域もあるようだ。翌日は登米にある石ノ森章太郎故郷記念館とみやぎの明治村を訪ねた。
2015年8月29日(土)雨
三陸鉄道南リアス線
三陸鉄道南リアス線は東日本大震災で被災して不通になっていたが2014年に全線で営業を再開している。
三陸駅
リアス式海岸を走る三陸鉄道にはトンネル区間が多く、列車と海が同時に見える場所は意外と少ない。その中で三陸駅は列車と海が同時に見える場所の一つ。
恋し浜駅
続いて恋し浜駅。もともとは小石浜駅だったが2009年に現在の駅名に変更された。
綾里駅
最後は珍しい形の駅舎が特徴的な綾里駅。この駅舎は東北の駅百選にも選定されている。
碁石岬
海岸には碁石のような扁平な石が見られる場所があり、碁石海岸と呼ばれている。今回はえびす浜から海岸沿いに伸びる遊歩道を歩く。
碁石岬には灯台と展望台がある。
乱曝谷の下の方には雷岩という岩がある。その名の通り、波が押し寄せる度に雷鳴のような「ドーン」という轟音を発する。
さらに北側に少し離れた場所にある穴通磯へ。海水の浸食で岩の基底部分に大きな穴が3つ開いている。
再び海岸近くまで降りると垂水浜がある。北緯39度00分00秒となる地点も近い。
陸前高田
陸前高田は東日本大震災の津波に見舞われた地域の中でも特に被害の大きかった場所である。市中心部の建物はほとんど残っておらず、人的被害も大きかった。道の駅高田松原の跡地には仮設の小屋が設けられ、被災前の写真などが展示されている。
付近一帯には防潮林として植林された高田松原があったが、津波によりほぼ全ての松が壊滅した。その中で奇跡的に倒れずに残った一本の松は「奇跡の一本松」と呼ばれながらも枯死してしまったため、現在は同じ場所に松のモニュメントが立てられている。
高台には住宅地の造成が進められており、掘削した土地を運搬するためにベルトコンベアが建設された。
南三陸町
南三陸町においても津波の被害は甚大だったが、被災した建物や瓦礫は震災後にほとんど撤去され、現在は津波で骨組みだけとなった防災対策庁舎などが残されている。
本日は南三陸町に宿泊。
モアイ像
南三陸町にはモアイ像がある。これは南三陸町が1960年のチリ地震津波で被災した際に、チリからモアイ像が贈られたのが始まりとのこと。さらに東日本大震災後には新たにイースター島の石を使って彫られたモアイ像が贈られたそうである。
2015年8月31日(日)雨
あいにくの空模様だが本日は登米方面へ。宮城県北東部、田園地帯の広がる地域である。なお「登米」は、町の施設に関しては「トヨマ」、国・県の施設に関しては「トメ」と読むらしい。
興福寺
まずは興福寺を訪れた。一説では平安時代に坂上田村麻呂が観音堂を建てたのが始まりと伝えられている。
六角堂は1884(明治17)年に建築されたもので、青い屋根に二階建てという洋風建築の雰囲気を持つのが特徴。
六角堂の裏手には観音堂がある。この観音堂の外壁には中国の親孝行の物語にちなんだ壁画が描かれている。観音堂には、33年に一度だけ開帳される「本尊・秘仏十一面観音菩薩」が祀られているという。
石ノ森章太郎ふるさと記念館
登米は漫画家の石ノ森章太郎の出身地で生家が現存しており、近くには石ノ森章太郎ふるさと記念館がある。「サイボーグ009」などで知られる石ノ森章太郎は特に作画スピードが速く、「世界一多作な漫画家」としてギネス認定されている。
仮面ライダーシリーズは石ノ森章太郎の代表作の一つ。漫画作品の枠にとらわれずテレビドラマの原作者としても関わったという。
町の中に目を向ければ、等身大のキャラクター像も数多く並んでいる。
登米の郷土料理
登米の名物ははっと汁と油麩である。早速、登米ならではの食材を使った料理を堪能。
みやぎの明治村
登米には明治時代の建物が現存しており、その町並みから「みやぎの明治村」と呼ばれている。少し歩くだけでも明治時代の面影が感じられる。
前小路通りに面した水沢県庁記念館は、現在の宮城県北部と岩手県南部を「登米県」とした翌年の1872(明治5)年に落成した建物である。玄関は入母屋造りの屋根だが本棟が洋風建築となっている。
武家屋敷と門
明治時代の洋風建築だけでなく、武家屋敷時代の面影をとどめる建物も多い。武家屋敷や門、鉤型小路なども見所である。
警察資料館
警察資料館は旧登米警察署庁舎で、木造二階建ての白ペンキ塗り。旧登米尋常高等小学校(現:教育資料館)を手掛けた山添喜三郎氏によるものである。現在は警察関係の資料が展示されている。
警察資料館の隣には玄昌石の館がある。登米の特産だった玄昌石について、産出から製品に至るまでの過程が写真パネル等で紹介されている。玄昌石は主に屋根葺材に用いられる天然スレートで、東京駅丸の内駅舎の屋根葺材にも使われた建材である。2012年に丸の内駅舎が復原された際にも、一部に登米産(再利用)と雄勝町産のスレートが使われたそうである。
このあたりの町並みもどこか古さを感じる町並みだ。
教育資料館
教育資料館は旧登米高等尋常小学校として建てられたもので、1888(明治21)年に完成した。木造二階建てで上から見るとコの字型をしている。
みやぎの明治村を散策した後は道の駅もくもくランドに立ち寄った。
現在の登米市は2005年に登米郡8町と本吉郡津山町の合併によって誕生したもので、合併前のマンホールが各地に残っている。
横山不動尊 大徳寺
津山町にある横山不動尊に立ち寄る。お堂には高さ3mという大きな不動明王像が納められている。
お堂の中では不動堂や不動明王像についての話を聞くことができた。旧不動堂は1927(大正15)年に焼失しており、火災の際には不動明王像を御池に避難させたという逸話があるそうだ。また不動明王像は東日本大震災後に京都で本格的な修理を受け、2014年の春に修理を終えて寺に戻ってきたという。なお胎内仏は酉の年にのみ拝することができる。
追分温泉
最後は南三陸に程近い追分温泉で立ち寄り湯。山間の一軒宿である。樹齢500年のカヤの木で造られたという浴槽でゆったりと湯に浸かった後は、個室での食事が楽しめる。