山口錦帯橋から秋芳洞、石見銀山を歴訪
初日は山口県の岩国錦帯橋から湯田温泉へ。2日目は関門海峡を眺め、下関から本州最西端を目指す。3日目はさらに海岸線を進み、カルスト地形の秋吉台へ。歴史を感じる萩の城下町と津和野に立ち寄り、4日目にはSLやまぐち号も見られた。5日目には世界遺産でもある島根県の石見銀山を歩いた。
2014年4月26日(土)晴れ
山陽自動車道を西へ。途中、吉備SAと宮島SAにて休憩。
岩国城
岩国ICで降り、最初の目的地である岩国城に到着。岩国城は吉川氏の居城として築城されたが、幕府の一国一城令により完成から7年後に廃城となり、現在の天守は1962年に建てられた復興天守である。ロープウェイで山頂まで上がれば天守までは徒歩で5分程度。内部は資料館になっており、刀剣などの展示を見学。最上階からは錦帯橋を始め岩国市街地を一望できる。岩国の城下町は古くからの町割を比較的良くとどめているという。
- 坂を登り大手門を抜ける
- 二の丸
- 三層四階の桃山風南蛮造り
- 本丸
- 天守閣内には錦帯橋の模型や刀剣、武具甲冑類などが展示してある
- 吉香公園、城下町、錦帯橋などの市内や瀬戸内海も一望できる。
- 時を告げるときだけ中の人形が動く「からくり時計の塔」が山頂駅前広場の中央にある
再び山麓に戻り、吉香公園、吉川徴古館、牡丹園、旧目加田家住宅、白蛇観覧所に立ち寄る。
- 堀を渡って吉香神社へ
- 鳥居、神門、拝殿へ一直線に並ぶ
- 旧藩時代の矢倉に似せて造られた絵馬堂
- ボタンが見頃
- 岩国徴古館
- 吉香公園から望む岩国城
- 吉香公園
- 大噴水と新緑のクスノキ
- 根元が絡み合ったエノキとイヌマキ
旧目加田家住宅は、江戸時代中期の18世紀中頃に建てられた中流武家屋敷である。重ね合わせの桟を両側に持つ特殊な形の桟瓦は、両袖瓦(りょうそでがわら)と言われ岩国地方独特の地瓦で別名、岩国瓦とも呼ばれている。この両袖瓦と平瓦を交互に使用する二平葺きは岩国の瓦師が考案したと言われている。
錦帯橋
岩国城と市街地を結ぶ錦帯橋は錦川にかかる木造アーチ橋で、日本三名橋に数えられる。江戸時代に創建されたが幾度か洪水で流出し、現在の橋は1953年に再建されたものである。
毛利氏庭園
旧萩藩主毛利氏の邸宅として建てられたもので、特に回遊式庭園では四季折々の変化を楽しめる。
- 松並木の路をたどると表門に到着
- 毛利博物館外観、正面玄関の車寄
- 中雀門より内庭に入る
- 本館
- ツツジが見頃
- ひょうたん池を巡る回遊式
- 手入れのいきとどいた植栽
- 四季折々の景観
- ひょうたん池南岸より望む、多々良山と庭園
- 駐車場脇に咲くフジ
GPSログ
出発時刻: | 13:22:00 |
到着時刻: | 14:40:45 |
合計時間: | 1時間18分45秒 |
合計距離: | -6294.2km |
最高標高: | 71.73m |
最低標高: | 15.52m |
平均速度: | -0.02km/h |
防府天満宮
菅原道真を祀った神社で、京都の北野天満宮、福岡の太宰府天満宮と並ぶ天満宮とされている。参道には鉢植えの花で大きな文字が表現されており、石段の下から見上げると「幸せます」と読める。このイベントは「幸せますウィーク~ほうふ千年の灯めぐり2014~」というもので、5月1日~5月5日まで楽しめる。
建設を断念した五重塔一層部分の軒下の組物をそのまま床下に組み入れた楼閣様式のお龍堂を完工した建物。
常栄寺雪舟庭
大内政弘が雪舟に命じて築庭したものといわれている庭園で、国指定史跡になっている。
瑠璃光寺
室町時代に建立された国宝の五重塔がある。
- 瑠璃光寺入口
- 池と五重塔
- 日本三名塔の一つ(京都醍醐寺、奈良法隆寺と並ぶ)
- 山号である「保寧山」と書かれた山門から中へ入る
- 大内氏第9代当主
- 瑠璃光寺の隣にある洞春寺も見学
- 七夕ちょうちん祭りのデザイン
湯田温泉
湯田温泉の一福に宿泊。湯田温泉は山陽随一の温泉街で数多くの飲食店が建ち並ぶ。古くは白狐が湯に浸かっているところを発見したと伝えられ、温泉街の随所に白狐のモニュメントが設置されている。湯田温泉駅前には白狐の大きな像がある。
2014年4月27日(日)晴れ
湯の町散策
早朝、湯の町を散策。先ずは「公園通り」から「おいでませ駅通り」を通り湯田温泉駅まで行ってみた。
湯田温泉駅から「湯の町通り」へ向かう。
湯の町通りのマンホールは白狐伝説がデザインされている。
- 其の一 昔々、昔々、湯田の権現山の麓の寺に小さな池があった
- 其の二 その池に毎晩、傷ついた白狐がやってきて、足をつけていた
- 其の三 この様子を見ていた寺の和尚さんが、不思議に思ってその池の水をすくってみると温かい
- 其の四 そこで池を深く掘ってみると湯がこんこんと湧き、薬師如来の金像があらわれた
- 其の五 この仏像は拝んで湯あみをすると難病も治る
- 其の六 白狐の湯」として評判となり、温泉は栄えるようになった
湯の町通りの店舗にいるゆう太を探しに、手に持っているものが違うらしい。
- 郵便局前から探し始める
- 自転車屋さんは車輪
- 文具屋さんは鉛筆
- 魚屋さんは魚
- お肉屋さんは?
- 呉服屋さんは反物
- お酒屋さん原田酒舗は地酒
- 湯の町通りの両端に「千客万来」の招き白狐
- 湯の町街道(県道204号線)から見た湯の町通り
湯の町街道を渡り「元湯通り」から「錦川通り」「生目通り」へ行ってみる。
- 幕末の維新志士達が集った松田屋
- 立ち寄り温泉 亀乃湯
- マンホール 元湯通り
- 錦川通りは湯田温泉のかつてのメインストリート
- 錦川通り
- 生目通りにある温泉舎、湯の川は全長13.4mの温泉が流れる川
- マンホール えびす通り
- 湯田温泉
関門海峡
本州と九州を隔てているのが関門海峡で、それぞれを結ぶ拠点となる地区が下関と門司である。平安時代末期には平家滅亡を決定づけた壇ノ浦の戦いの地でもある。
みもすそ川公園
関門橋の下には、みもすそ川公園がある。みもすそ川公園前に広がる海は関門海峡の一番狭まったところで「早鞆の瀬戸」といわれ、潮の流れが速く、潮流の変化が激しい海の難所である。
関門国道トンネル
本州と九州との間はトンネル(3本)と橋(1本)で結ばれている。世界初の海底トンネルとして知られているのが関門鉄道トンネルで、現在も山陽本線として下関と門司を結ぶ。他には山陽新幹線が新関門トンネル、国道2号線が関門国道トンネル、関門自動車道が関門橋によって結ばれている。そのうちの関門国道トンネルには歩行者用トンネル(人道)が併設されており徒歩で通行できる。
- エレベーターで地下(約55m)へ降りたところ。
- 関門トンネル 県境
- 関門トンネル人道も国道2号に指定されている
- 関門トンネル人道の壁画
- 地上と地下(約60m)を結ぶエレベーター
- 福岡県に到着
- 和布刈(めかり)神社の灯籠と関門橋
- 九州最北端に位置する神社
- 北九州市 マンホール
火の山公園
火の山公園の山頂(標高268m)からは、関門海峡、瀬戸内海、日本海が一望できる。
下関駅
本州の最西端・下関市の中心駅。
本州最西端、毘沙ノ鼻
毘沙ノ鼻は本州最西端に位置する岬で、展望台からは蓋井島が見える。北浦街道沿いには梅ケ峠駅があり、本州最西端の駅となっている。そのまま山陰本線に沿って国道191号線を走る。
山陰の海岸線ビュースポット
海岸線へ出ると、玄界灘から日本海の雄大な景色が目に飛び込んでくる。そして昼頃になると、山陰本線を走る観光列車「みすゞ潮彩」がやってくる。この列車はビュースポットで停車するので、待っていれば良い景色に収まる列車を眺めるのも簡単。
二見夫婦岩
国道沿いには二見夫婦岩があり観光地図にも載っているのだが、道路より低い位置にあるので見過ごしてしまった。一度引き返してゆっくり観察した。
角島
続いて離島の一つ、角島へ。島の北西端には角島灯台がある。この辺りはひじきなどが名産の模様。
角島大橋
角島と本州を結ぶ角島大橋は特徴的な形から観光名所となり多くの人が訪れるようになったという。また自動車のCMに多く使われた場所である。2005年に沖縄県の古宇利大橋ができるまで、通行料無料の離島架橋としては角島大橋が日本最長であった。
角島灯台
角島灯台は1876(明治9)年に初点灯した総御影石造りの洋式灯台で、塗装されていないのも特徴の一つ。
元乃隅稲成神社
元乃隅稲成神社の参道には上の社から海岸沿いまで長いトンネルように赤い鳥居が立ち並ぶ。龍宮の潮吹があり、波が強いときには地上高くまで海水が吹き上げるそうである。
東後畑棚田
長門市油谷は棚田が多い地域で、本州最西北端の向津具半島を中心に約700haもの一大棚田地帯が広がっている。丘陵地が海岸近くまで迫っているため、眼下に日本海を望むことができる。5月下旬頃夕日が沈む日本海に、イカ釣り漁船の漁火が無数に輝く光景は素晴らしいという。
長門湯元温泉
旅館一福に宿泊。今からおよそ600年前(1427年室町時代)大寧寺の定庵禅師が住吉大明神からのおつげによって発見されたと言われている。山口県でもっとも古い歴史をもつ温泉として知られている。
2014年4月28日(月)晴れ
早朝散歩
長門湯本駅は温泉街からやや離れた所(徒歩で5分程度)にあり、駅周辺はあまり温泉街らしくなく長閑な田園と言ったところだ。
青海島
長門市の北に位置する青海島に渡る。青海島との間は橋が架かっており、車で渡ることができる。島の東端にある通(かよい)浦は、江戸時代から明治にかけて古式捕鯨で栄えた町で、通港には当時の様子を今に伝えるくじら資料館がある。また、くじら資料館の裏手の坂を登った場所には鯨墓が建てられている。
波の橋立
長さ1.3kmにわたって続く遊歩道を歩く。
仙崎
古くから漁業で栄えた町・仙崎の中心を通る一本道は「みすゞ通り」と言う。仙崎の名産品である蒲鉾の板を利用したみすゞのモザイク画は町の各所に飾られているそうだ。青海島観光ホテル横壁面のモザイク画をよく見ると、蒲鉾板には手書きのメッセーがジ記されている。
秋芳洞
秋芳洞へは、秋芳洞案内所(秋芳洞正面入口)、黒谷案内所(黒谷)、秋吉台案内所(エレベーター)の3ヶ所の入口から入洞できる。エレベーターから秋芳洞へ入りと、秋芳洞正面入口から700m、黒谷口から300mの地点に下りる。
エレベーターから出ると目の前に広がる光景に圧倒される。そのスケールは日本屈指の巨大鍾乳洞と言われているだけのことはある。先ずは黒谷支洞から見学した。
- 黄金柱 石灰華柱
- 巌窟王 石筍
- 左 クラゲの滝のぼり/右 五月雨御殿
- マリア観音
- 石筍
- コバルトブルーの水が流れる
- 空滝
- 大黒柱
- 千畳敷
- ライオン岩
- 傘づくし 鍾乳石
- 千町田
- 蓬莱山
- 大松茸
- 縮緬のような岩肌
- 洞内
- 洞内富士 石柱
- 百枚皿 石灰華段丘
- 奧が青天井
- 鍾乳洞入口
- 秋芳洞正面入口
冒険コース
青天井付近左手側から岩肌を登っていく秋芳洞冒険コースに登る。料金箱に料金を入れ、備え付けの懐中電灯を持って岩に打ち付けてあるはしごを登る。
- 青天井付近のはしごを登る
- 六地蔵
- 鍾乳石の間を中腰で進む
- 青天井の洞内が見渡せる
- 開山の行場の一番奥に当たるところから、一筋の光が見える
- 開山の行場の奥の方
- 急な坂道を降りると出口
- 出口付近から上を見上げる
秋芳台から萩市へ
秋吉台カルストロードを走り萩市へ向かう。悪しくも雨が降りガスがかかった状態であったが、草原の中に白い石灰岩柱が点在する大自然の光景には感動する。
萩市の中心駅は東萩駅となっていて萩駅は無人駅である。ハーフティンバーの洋館駅舎は鉄道記念館(資料館)となっている。
萩城跡
萩焼の窯元が軒を連ねている。
堀内 鍵曲
鍵曲(かいまがり)と呼ばれる場所がある。左右を高い土塀で囲み道が鍵の手のように直角に曲がっていて、行き止まりのように見える。昔のままの萩らしい風情を残す閑静な散策道である。
口羽家住宅
萩に現存する屋敷として最も古いもので、大きな表門がある。
城下町散策
旧萩城の外堀から外側に広がる城下町は、町筋は碁盤目状に区画され、中・下級の武家屋敷が軒を連ねていた。
江戸屋横町
黒板塀がつづく風情ある道。
呉服筋(御成道)から3本の横町の真ん中・伊勢屋横丁に入り慶安橋筋へ出る。慶安橋筋から菊屋横丁へむかう。
菊屋横丁
菊屋横丁は延々と続く白壁のなまこ壁(土塀)が美しく、日本の道百選に認定された萩市を象徴する道だ。
彩陶庵のウィンドウには萩焼を代表する作家の作品が展示され、行き交う人々が足を止めていた。
呉服筋(御成道)
藩主が参勤の際に通ったことから御成道と呼ばれていた。
吉田松陰ゆかりの地
維新の先覚者と呼ばれる吉田松陰は、私塾・松下村塾を主宰し、高杉晋作や伊藤博文など幕末から明治にかけて活躍した多くの逸材を育てた人物である。
松陰神社
- 松陰神社
- 幕末期に吉田松陰が講義した私塾
- 石碑は松陰が1859年(安政6年)家族に宛てた遺書の中で詠われた歌「親思ふこころにまさる親ごごろけふの音づれ何ときくらん」
- 吉田松陰幽囚の実家・杉家旧宅 謹慎して読書と著述に専念したところ
- 松陰神社本社
伊藤博文旧宅・別邸
藍場川沿い
藍場川沿いの民家では川の水を家庭用水として使った後、濾過・浄化して再び川に戻すという、環境に配慮した水の利用法を見ることができる地域である。
長門峡
屏風のような切り立った崖や奇岩、滝が連なる景勝地、長門峡を歩く。
長門峡探勝路
長門峡は国道9号線にある「道の駅 長門峡」から長門峡竜宮淵まで川沿いに遊歩道が整備されている。そそり立つ断崖や奇岩を眺めながら自然を満喫出来るコースのようである。今回は天気と時間の関係上、竜宮淵~紅葉橋の区間を歩いた。
津和野
原田屋に宿泊。
2014年4月29日(火)雨
あいにくの雨がぱらつく天気。早朝は津和野の町並みを散策して津和野城跡へ登ることにした。
津和野駅
津和野駅前にはD51型機関車が静態保存されている。現役のSLが走る山口線にもマッチしていて良いと思う。実際、このD51型194号機はかつて山口線でのSLさよなら運転を行った機関車だそうである。ちなみに今年のSLやまぐち号は、災害のため津和野駅ではなく地福駅にて折り返し運転をしている。
駅通りから明治大正の商家が立ち並ぶ本町、鯉が泳ぐ掘割の殿町につながっている。
乙女峠
乙女峠はキリシタン殉教地の一つ。1868年から1872年の間の殉教者は36名といわれている。現在も津和野カトリック教会による殉教祭として「乙女峠まつり」がおこなわれている。
永明寺
乙女峠からほど近い場所にある永明寺(ようめいじ)に立ち寄った。一角には森鴎外の墓もある。
津和野の町並み
津和野は「つわぶきの生い茂る野」とも言われ、古くから山口地方と山陰地方を結ぶ交通の要所として発展してきた。特に津和野藩・亀井氏の城下町として、現代へと続く町並みが形成されたようである。殿町通りから弥栄神社までを歩く。
- 本町通り
- 石畳のような道路
- 古い建物が並ぶ
- おみやげに銘菓「源氏巻」を購入
- 殿町通り
- 掘割には鯉も泳ぐ
- ゴシック様式で建てられた石造りの荘厳な津和野カトリック教会
- 藩校養老館は森鴎外や西周など、数多くの優れた人材を輩出した藩校で一部は民俗資料館
- 多胡家老門
- 殿町通り
- 鷺舞は津和野の弥栄神社に伝わる古典芸能神事
- 高津川の支流、津和野川
- 弥栄(やさか)神社境内には樹齢540年を超える御神木のケヤキがある
弥栄神社の境内を抜けると太鼓谷稲成神社の鳥居が見えてくるが、とりあえず駐車場へ戻る事に。
津和野城趾
津和野城趾へ。津和野城は津和野を一望する山の上にあった。
GPSログ
出発時刻: | 7:55:05 |
到着時刻: | 8:44:55 |
合計時間: | 0時間49分50秒 |
合計距離: | -6299.37km |
最高標高: | 182.51m |
最低標高: | 145.68m |
平均速度: | -0.02km/h |
太鼓谷稲成神社
先程、弥栄神社境内周辺から眺めた、山の斜面へと鳥居が連なっている太鼓谷神社へ移動。
森鴎外記念館と旧宅
森鴎外が生まれたのは現在の津和野町津田であり、旧宅が国指定史跡として保存されている。隣接して森鴎外記念館がある。
GPSログ
出発時刻: | 10:19:55 |
到着時刻: | 13:16:20 |
合計時間: | 2時間56分25秒 |
合計距離: | -6270.07km |
最高標高: | 274.83m |
最低標高: | 118.78m |
平均速度: | -0.02km/h |
SLやまぐち号
山口線ではSLやまぐち号が運行されており、運転日には沿線にも見物客が集まる。白い煙を噴き上げながら走る姿は迫力がある。
地福駅
地福駅を後にして日本海側へ出て海岸線を東へ向かう。
石見畳ヶ浦
石見畳ヶ浦は不思議な景観が見られる海岸である。千畳敷や断層、海蝕洞といった地質学的にも貴重なものが数多くある。
- トンネル入口
- 海蝕洞
- 海蝕洞
- 断層
- ノジュール
- 千畳敷
- 列状に並んでいるノジュール
- ぼこぼこ
- 千畳敷と馬の背
- 節理
- 木の化石
- 馬の背
- 海側から見た馬の背
- 節理
- 節理
- 貝類の化石
- 節理
- どこか顔のような岩
- しまね海洋館アクアスとシロイルカをデザインした浜田市 マンホール
美又温泉
本日は美又温泉の山根旅館に宿泊。美又川ほとりに湧き出る鄙びた温泉街である。
温泉街を散歩。
2014年4月30日(水)曇り
海岸沿いに走り、石見銀山エリアへ向かった。
琴ケ浜の鳴り砂
まず琴ヶ浜に立ち寄る。鳴り砂は、砂の上を歩く際に音が鳴る現象で、石英粒を多く含む砂の摩擦によって音が出るとされている。琴ヶ浜は日本の音風景100選に選ばれている。
石見銀山
まずは石見銀山世界遺産センターに到着。ここからバスで銀山地区へ移動する。
石見銀山は戦国時代から江戸時代にかけて操業された日本最大の銀山であった。石見銀山の最盛期には世界に流通する銀の多くを産出しており、当時の日本が国際的に「銀王国」として認識されていたと言われている。明治期に入ると民間の産業資本により、近代技術を採り入れた採掘が行われたが、既に銀生産自体が減少しつつある時期に重なり採算が合わず、また1923年には旧山となった。しかし日本を代表する銀山として石見銀山が国際的に与えた影響は大きく、2007年には銀鉱山跡や鉱山町などの14の資産が世界遺産に登録された。このうち銀山地区と大森地区は現在も居住地区となっており、銀山観光の拠点ともなっている。
大久保石見守墓
大久保石見守長安は、徳川将軍時代の初代銀山奉行であり、石見銀山最大の間歩である「大久保間歩」にもその名が残されている。
寺院
安養寺は天台宗の寺院であったが、大永3(1523)年に浄土真宗へと改宗したそうである。
清水寺(せいすいじ)は推古天皇の時代に創建された真言宗の古刹寺院であり、延暦17(798)年に仙ノ山から清水谷に移転したと伝えられている。
清水谷精錬所と選鉱場跡
清水谷精錬所は、明治28~29年に近代産業資本である藤田組によって操業された精錬所であったが、鉱石の品質が悪かったために、わずか1年あまりで操業中止となった。
清水谷精錬所からさらに山の奥へと進むと、選鉱場跡にたどり着く。この選鉱場で選別された鉱石をシュート(鉱石を落とす装置)によって斜面下へ落とし、そこからトロッコで清水谷精錬所に運んでいたのだという。
間歩
銀山地区の山中には、銀鉱床に沿って間歩と呼ばれる坑道が数多く掘られている。特に龍源寺間歩、釜屋間歩、新切間歩、大久保間歩、福神山間歩、本間歩、新横相間歩の7つの間歩が国の史跡として登録されている。
龍源寺間歩
1715年に開発された龍源寺間歩は観光用に整備され、内部を見学可能となっている。内部は全長約600mあり、そのうちの約273m(栃細谷新坑道含む)が一般公開されている。狭く暗いが、側面にはノミで掘られた跡が良く残っている。
- 龍源寺間歩の入口、いよいよ間歩の内部へ
- 中から外を見る
- 内部
- 側面に掘られた穴
- 様々な方向へ掘られている
- 最奥へは進めない
- 外に出た
- 鉱石と案内板
- 銀山町年寄山組頭の遺宅
- 人力のベロタクシーもある
- 神社や寺がある
- 下河原吹屋跡
- 大森小学校
- 狸の置物
大森の町並み
石見銀山領の中心であった大森地区では、レトロな町並みを見ることができる。
GPSログ
出発時刻: | 9:09:15 |
到着時刻: | 10:01:50 |
合計時間: | 0時間52分35秒 |
合計距離: | -6299.82km |
最高標高: | 413.51m |
最低標高: | 309.58m |
平均速度: | -0.02km/h |
出雲の農産物直売所
石見銀山を後にし農産物直売所などに寄りながら海岸線を進む。出雲から中国自動車道にて帰路に就いた。