偕楽園と弘道館の梅まつり
2015年3月14日(土)晴れ
水戸の偕楽園は、金沢の兼六園や岡山の後楽園と並ぶ日本三名園の一つ。第九代水戸藩主の徳川斉昭公によって造営され、特に梅の庭園として知られている。千波湖を望む高台にあり、梅祭り期間中は臨時の偕楽園駅にも常磐線の列車が停まる。
偕楽園
駅から表門まで距離があるため、現在は東門が事実上の入口となっている。偕楽園は水戸藩主徳川斉昭が開設した庭園で、約3000株の梅林を有している。かつては1万株とも言われる梅林が広がっていたという。
- 東門
- 徳川斉昭は飢饉と軍旅への備えから梅林を作った
- 満開
- 苔むした幹
- 梅林を散策
- 御成門
- 水戸の六名木の一つ「白難波」
- 表門は黒門とも呼ばれる
- 一の木戸と孟宗竹
- 吐玉泉(とぎょくせん)は東日本大震災後に水質が変わったらしい
好文亭
徳川斉昭公が設計した御殿で、好文亭の名は梅の別名「好文木」に由来するという。三階部分の楽寿楼からは遠くに筑波山も見える。眼下には梅と千波湖(せんばこ)が望める。
常磐神社
偕楽園の隣には徳川光圀公・徳川斉昭公を祀る常磐神社がある。徳川光圀は水戸黄門の名で知られる徳川家2代の水戸藩主で、文化財の保護などに取り組んだという。「本朝之史記」(のちの「大日本史」)を編纂した人物である。徳川斉昭は水戸藩主徳川家9代で烈公と呼ばれる。天保の改革を実行した。
漫遊バス
梅まつりに合わせた数日間、市内を周遊する「漫遊バス」が運行されている。NPOバス保存会が保存しているボンネットバスが活躍。
弘道館
弘道館は徳川斉昭公が開設した日本最大の藩校で、学問と武芸を学ぶ場であった。長州藩士の吉田松陰も立ち寄ったとされ、明治時代には県庁が置かれていた時期もあった。明治維新の際に弘道館の戦いで多くの建物が焼失した。同名の藩校は佐賀藩・彦根藩にも存在した。