熊本城を見てくまモンに会える!熊本市内周遊
日本三名城の一つとされる熊本城を訪れた。熊本城は「熊本の宝」と言えるほど地元から親しまれている城である。さらに水前寺成趣園や市電の車庫にも立ち寄り、くまモンのステージにも足を運んだ。
2016年1月15日(金)晴れ
熊本城
熊本市の中心部を歩く。熊本といえば何はさておき熊本城である。築城の名手とされる加藤清正により築城されたもので、名実ともにその評価は高い。西南戦争の際には西郷隆盛率いる薩摩軍の攻撃に耐えており、「武者返し」と呼ばれる熊本城の特殊な石垣が役立ったと言われている。今回は須戸口門から東十八間櫓を経由して本丸を目指す。
櫓群
石段を登ると右手に東十八間櫓がある。不開門は工事中であった。東十八間櫓と不開門は江戸時代の遺構で、国の重要文化財にも指定されている。田子櫓から源之進櫓まで、現存する櫓が並んでいる。
さらに源之進櫓や十四間櫓を左に眺めながら歩く。
櫓群を抜けると、今度は傾斜が違う二様の石垣の見られる場所に出る。向かって右手の傾斜が緩やかな石垣は築城当時のもので、左手の傾斜が急な石垣は細川時代に増築されたものらしい。
天守
西南戦争では陥落こそ免れた熊本城だったが同時に天守や御殿など多くの建物を焼失した。現在の天守は1960年(昭和35年)に外観復元されたものである。
本丸広場へ通じる道の途中には本丸御殿の下をくぐり抜ける「闇り通路」がある。これは本丸御殿が2つの石垣を跨ぐように建てられたためで、ちょうど地下通路のようになっている。
本丸御殿
闇り通路の上に建つのが本丸御殿で、藩主の居間や対面所、台所などを備えている。2008年に築城当時の技法で復元されたそうである。大広間の一番奥にある昭君之間は一番格式が高く、内装も豪華である。壁やふすまには漢の時代の物語が描かれている。
宇土櫓
宇土櫓は、大小天守に次ぎ天守並みの大きさを誇る櫓で、西南戦争の際にも焼失することなく創建当時の建物が現存している。外観は3層、内部は地上5階と地下1階で、隣接する続櫓から内部の見学もできる。
数寄屋丸
数寄屋丸はかつて能や茶会が開かれた場所で、主に接客に利用されたという。現在の数奇屋丸は、1989(平成元)年に復元されたもの。
飯田丸五階櫓
飯田丸五階櫓は飯田丸の南西にある櫓で、2005年に復元された。
頬当御門を抜けると南大手門などのある広場に出る。
旧細川刑部邸
続いて旧細川刑部邸へ。細川家三代忠利公の弟、細川刑部少輔興孝が興した細川刑部家の武家屋敷で、もともと熊本市内の別の場所にあった建物を熊本城三の丸跡に移築したものである。
市電と車両工場
熊本市内では路面電車が運行されていて、市民の足として親しまれている。2015年までは市営バスも運行されていたが現在バスは民営のみとなり、熊本市交通局では路面電車のみ運行している。路線はA系統とB系統に分かれており、熊本市産業文化会館近くの辛島町停留場から分岐している。
B系統の終点である上熊本駅前電停近くには日々の整備点検を行う車両工場がある。予約をすれば工場の見学も可能だ。ちなみに上熊本駅前電停の駅舎は、もともとJR上熊本駅の二代目駅舎として使われたものの一部を移築したものである。
工場内には点検中や運休中の車両などが並んでいる。定期的にオーバーホールなどを行っているという。
上熊本
現在の上熊本駅は九州新幹線の高架下にあり、2015年に建て替えられたばかりの駅舎である。かつて夏目漱石が旧制第五高等学校に赴任した際に降り立った場所であり、駅前には漱石の銅像がある他、通りも「我が輩通り(わがはいどおり)」と名付けられている。
熊本電鉄
上熊本には熊本電鉄も乗り入れており、地元では菊池電車と呼ばれている。かつて東京で使われていた車両が多いため、昔を懐かしむ人もいるらしい。
熊本名物
2016年1月16日(土)晴れ
水前寺成趣園
熊本で熊本城と並ぶ名所の一つ、水前寺成趣園を訪れる。阿蘇伏流水が湧出する池の周囲に造られた桃山式回遊庭園である。
庭園は東海道五十三次の景勝を模したとも言われ、湧水池の周りを歩けば、それぞれ異なる景色にも見える。
くまモン
今、熊本で一番の人気者がくまモン。
熊本市内はもとより県外でもその知名度は高く、今や全国を(時には海外も)飛び回るほどの忙しさなのだが、くまモンに必ず会える場所「くまモンスクエア」がある。くまモンの活動拠点であり在室スケジュールも公開されていることから、多くの人々が訪れている。
部長室ではこれまでの活動の軌跡や記念品などが紹介されている。とにかく活動的なくまモン。
くまモンの登場までしばらく待機する。くまモンスクエアではくまモングッズも販売されているので品定めをしておくのも良さそう。
そうこうしているうちに一人二人と人が集まってくる。くまモンは大人気なのだ。くまモンが登場する頃にはくまモンスクエアが入場制限されてしまうこともある。
この辺りでくまモンと熊本に別れを告げて福岡へ向かうことにする。
天神
当初の予定よりも時間に余裕があったので福岡の天神を散策した。
赤煉瓦文化館は、明治時代に日本生命保険九州支店として建てられたもので、現在は福岡市文学館として使われている。明治時代を代表する建築家・辰野金吾らによる設計で、赤煉瓦の重厚な佇まいが目を引く。
福岡城跡
福岡城では博多湾や室見川などの自然地形をうまく利用し、外堀がなく内堀のみとなっている。現在はその内堀北側部分の一部が地下保存施設で見られるようになっている。この堀石垣は地下鉄工事の際に見つかったもので、主に土日に公開されている。
福岡城は初代藩主の黒田長政によって築城されたもので、現在はいくつかの櫓が復元されている。
福岡城の天守は現存せず、天守台となる石垣のみが残っている。しかし天守に関する史料は少なく、そもそも天守が築造されたのかどうかすら定かではないようだ。
福岡城には47もの櫓があったが、江戸時代から残る櫓は多聞櫓のみである。多聞櫓は二重二階建切妻造の角櫓と桁行三十間(54m)の西平櫓から成っている。内部は公開されていないが、特別公開が行われる時もある。
鴻臚館の遺構
鴻臚館は平安時代に設置された外交施設らしい。筑紫の鴻臚館は福岡城内に遺構があり、今なお発掘調査が続けられている。出土した遺物や遺構の一部は鴻臚館跡展示館で見ることができる。