トキの島・時を刻む大地 佐渡ジオパーク
新潟県西部に位置する佐渡島を訪ねた。小木港を起点に2泊3日の日程で島を一周し、佐渡金山や尖閣湾などの観光のほか、特別天然記念物トキの生態観察など、佐渡の自然と歴史に触れる旅となった。
2016年9月17日(土)曇り
佐渡汽船フェリー
佐渡汽船の高速フェリーは午前4時40分に直江津港を出港し、午前6時20分に佐渡島の小木港に到着した。佐渡島は沖縄本島に次ぐ面積を持つ日本最大の離島で、本土とは最短距離で約32km離れている。
沢崎海岸
小木港から県道45号線(佐渡一周線)で西へ向かう。小木の城山台から沢崎の神子岩にかけて連なる海岸線は「佐渡小木海岸」として国の天然記念物及び名勝に指定されている。古い火山活動によって形成された変化に富む景観が見られ、矢島経島、南仙峡、枕状溶岩台地の沢崎などの景勝地が点在している。佐渡一周線の終点に位置する沢崎海岸は、海底火山の溶岩が海中に吹き出し冷えた枕状溶岩大地であり世界的にも珍しいとされる。また小木半島突端の沢崎鼻に建つ沢崎鼻灯台は佐渡島最西端の灯台で、塔高は佐渡で最も高い24.2mである。
- 隆起波食台
- 隆起波食台の海岸に奇岩が点在する独特の光景/たけのこ岩
- 佐渡島最西端の岬、小木半島突端の沢崎鼻に建つ佐渡で一番高い灯台(塔高24.2m)
- 枕状溶岩台地から成る、小木の海岸段丘
- 宿根木集落の民家の軒下飾り「扇」がデザインされた長者ヶ橋の照明
宿根木
宿根木の町並み
宿根木(しゅくねぎ)は、江戸時代から明治時代にかけて日本海の海運で活躍した北前船の基地として発展した船主集落である。北前船の寄港地であった小木港からは南西約4km、小木海岸の入り江に位置している。宿根木には廻船業を営む人々が多く居住し、迷路のような路地に今も100棟を超える板壁の民家が密集している。船大工の技術が結集した宿根木の町並は、国の重要伝統的建造物群保存地区になっている。
薄割りにした木の板を何枚も重ねた「木羽葺き」の上に石を乗せた屋根は、瓦が入ってくるまで主流だった日本海側特有のものである。その後、江戸時代に石見瓦、昭和30年代には能登瓦が廻船によって運ばれた。
人口増加に伴い高台に住む人が増え、共同井戸の脇にある石造りの階段(方岸坂)を利用してこの井戸から水を汲んだ。長い年月にわたり利用したため、階段の中央部分がすり減ってくぼんでいる。
1304年(嘉元2年)に創建された宿根木の鎮守で、現在の本殿建立は1661年(寛文元年)若狭小浜の住人牛田治兵衛であると棟札が残っている。石鳥居は尾道産の花こう岩である。
宿根木では1ヘクタールほどの狭い谷間状の土地に多くの建物が密集しているため、ほとんどの建物が総二階建てである。建物の外壁は日本海からの潮風から守るため包み板と呼ばれる縦板張りになっており、船板や船釘を使ったものも見られる。また建物内部は漆を使うなど豪華な造りとなっている。
三角家は1846(弘化3)年の水害後に羽茂大橋付近から移築したものといわれている。移築前は4間×6間の四角い建物であったが、敷地に合わせて三角形に切り詰め建てられており、宿根木集落のシンボル的な家である。
1893年(明治26年)まで弁財船の船頭をしていた伊三郎の家は、2階北側部分がせり出したセガイ造りや登り梁構造、「石」と書かれた軒下飾りなど特徴的な意匠が残る。
佐渡国小木民俗博物館
1920(大正9)年築の旧宿根木小学校の建物を利用してた博物館で、民俗資料30,000点余りを展示している。隣接する展示館では、1858(安政5)年に宿根木で建造された「幸栄丸」を当時の板図をもとに復元した実物大の千石船「白山丸」を公開している。北前船の航路は主に北海道と大阪とを結ぶもので、日本海から瀬戸内海を経由して物資を運んでいた。航路の途中には寄港地が多くあり各地で商いが盛んであった。
矢島・経島
矢島・経島は穏やかな入り江に浮かぶ二つの島である。矢島は良質の矢竹の産地で、源頼政がヌエ退治に使った矢も矢島産と言われている。経島は日蓮の高弟の日朗が嵐にあって漂着し、読経して一夜を明かしたことから命名されたそうである。二つの島を赤い太鼓橋がつないでいて、美しい景色の中でたらい舟の乗船体験ができる。
ゴジラ岩・人面岩
国道350号線を通って海岸沿いに北へ向かう。佐渡には変わった形の岩が多く、いろいろな名称が付けられている。椿尾の「弁天岩」は、弁天様が琵琶を抱え弾奏している姿から付けられた名称だが、見る角度によっては形がゴジラに似ていることから「ゴジラ岩」とも呼ばれている。背合の「立岩」は遠くを見つめる人間の横顔に見えることから「人面岩」と呼ばれている。
妙宣寺
妙宣寺(みょうせんじ)は、日蓮の弟子阿仏房日得が自宅を寺として開基した日蓮宗佐渡三本山のひとつ。1589年(天正17年)に現在地へ移った際に妙宣寺の寺号を起こしたといわれている。境内の五重塔は、1825年(文政8年)に建立されたもので、国の重要文化財に指定されており、新潟県内に現存する唯一の五重塔である。
北豊山 長谷寺
長谷寺(ちょうこくじ)は、奈良・大和の「長谷寺(はせでら)」を模した古刹で807年(大同2年)弘法大師の開基といわれている。本尊の十一面観音立像3体(国の重要文化財)をはじめ、平安期の金剛力士像、五智堂など文化財を多数所有している。
小倉千枚田
さらに小倉川を遡るように山の中へと進む。小倉ダム奥の斜面にある小倉千枚田は佐渡の代表的な棚田で、江戸時代に金山の繁栄に伴う人口増加に応じて開墾されたといわれている。2008(平成20)年頃からは棚田オーナー制度を取り入れながら管理・保全活動に取り組んでいる。
七浦海岸
佐和田から海岸沿いに佐渡金山へ向かう。途中にある七浦海岸は相川地区の鹿伏から二見までの10kmの海岸線である。長手岬は七浦海岸の中央に位置する岬で、平らな岩場が続く景勝地である。隆起海岸の特徴を持つ岬一帯には奇岩が点在し、変化のある海岸美を形成している。
佐渡金山
相川にある佐渡金山の歴史は古い。江戸時代の1601年(慶長6年)に開山されたと伝えられており、1603年(慶長8年)には徳川幕府直轄の天領として佐渡奉行所が置かれ江戸幕府の財政を支えた。1869年(明治2年)に官営佐渡鉱山となり、西洋人技術者を招いて機械化・近代化が図られた。坑道は総延長距離が約400kmあり、一部が観光用に整備されている。
産業遺構
北沢浮遊選鉱場は、日中戦争開始後の戦時下における大増産計画により建設された施設である。1ヶ月で5万トン以上の鉱石が処理できることから東洋一とうたわれ、現在は遺構が残っている。
- 北沢選鉱場跡(金銀抽出施設跡)
- 溶けた金属を鋳型へ流し込み、様々な種類の部品を製造するキューポラ跡
- 搗鉱場(とうこうじょう)跡(明治時代の破砕・製錬所跡)は低品位の鉱石を粉砕し水銀を用いて金を回収する
- 泥状の金銀を含んだ鉱石から水分を分離するための直径50mの泥鉱濃縮装置(シックナー跡)
宗太夫坑
「宗太夫坑」は江戸初期に開発された手掘り坑道で、坑道内では人形を使って当時の採掘作業を忠実に再現している。
- 坑道
- 坑内の排水作業に使われたポンプ「水上輪」/坑内作業
- 坑内に新鮮な空気を送り込む風送り穿子(ほりこ)
- 休憩所
- 手堀り採掘作業/坑内作業
- 「やわらぎ」と呼ばれる祭礼
- 宗太夫坑出口/金鉱石
- 開発初期の採掘地とされる江戸時代の露天掘り跡「道遊の割戸」
奉行所跡
佐渡は江戸幕府の直轄領(天領)で、幕府は金銀山と佐渡を治めるため、相川に佐渡奉行所を置いた。奉行所には金銀山の管理と行政を行う「御役所」金や銀を選鉱する「勝場(せりば)」、奉行の住居「御陣屋」があったが、現在は御役所部分が復元されている。
採掘した鉱石を細かく砕いて金や銀を選鉱する所で、1759年(宝暦9年)から奉行所の敷地内に設けられた。鉱石を扣石(たたきいし)で粉砕し石臼で粉にして、比重選鉱によって金銀分をより分けた。相川町に散在していた勝場を一か所に集めたので寄勝場(よせせりば)と言い佐渡奉行所の特有な形態を復元している。
2016年9月18日(日) 曇り
尖閣湾・揚島遊園
海岸線を北へ向かい尖閣湾に立ち寄る。尖閣湾の名称は、1932年(昭和7年)に文部省天然記念物調査委員の脇水鉄五郎博士がこの地を踏査した際、この湾の景観が、世界一と称される北欧ノルウェーのハルダンゲル峡湾の景観に勝るとも劣らないとして、「尖閣湾」と命名したのが由来とのことである。揚島峡湾に建つ観光施設「揚島遊園」では展望台からの景観や海中透視船での湾内巡りが楽しめる。
海中透視船に乗れば尖閣湾の手軽な観光を楽しむことができる。所要時間は15分程度だが、船上からはフィヨルドに例えられる切り立った断崖、船に群がるように飛ぶカモメやウミネコ、船底からは透明度の高い海を泳ぐ魚を観察できる。
遊仙橋は、1953年公開の松竹映画「君の名は」のロケで吊り橋のシーンが有名になり、登場人物の名前(氏家真知子)から通称「まちこ橋」とも呼ばれている。橋を渡った揚島の展望台からは雄大な尖閣湾が一望できる。
平根崎波蝕甌穴群
尖閣湾の北部、平根崎海岸の岩盤斜面には、約500mにわたり海水の渦紋浸食によってできた国内最大規模の甌穴群があり、国の天然記念物に指定されている。
千本鼻
外海府海岸のほぼ中央に位置する入崎(にゅうざき)は、約1Kmの砂利浜が続く透明度の高い海水浴場である。千本鼻(せんぼばな)と呼ばれる岬の岩場には二つの巨岩(弁天岩)があり、岩の間はしめ縄で結ばれ、傍らに弁天堂が建てられている。また、遊歩道で近くの岩場に渡れるようになっている。
大佐渡石名天然杉
大佐渡山脈の県有林石名団地には天然杉の巨木や奇木が林立しており、これらの天然杉の保全と観察のため遊歩道が整備されている。特徴的な5本の天然杉には公募による名称が付けられている。
大野亀
大野亀は佐渡の北の端に位置し、海に突き出た山のように見えるが、実際は標高167mの巨大な一枚岩である。5月~6月にかけて黄色の花を咲かせるトビシマカンゾウの大群生地としても有名で、開花期には多くの観光客で賑わう。
二ツ亀
二ツ亀は、2匹の亀がうずくまっているような様子からその名がつけられた。二つの島はそれぞれ沖の島・磯の島と呼ばれ、波のない時には陸と続き、潮が満ちてくると離れ島になる。大野亀から二ツ亀まで遊歩道が続いている。
賽の河原
大野亀と二ツ亀をつなぐ海沿いの遊歩道を歩くと賽の河原に出る。海食洞穴には、地蔵菩薩を中心に無数の石地蔵が静かに並んでいる。
弾崎灯台
弾崎灯台(はじきざきとうだい)は、佐渡最北端の弾崎(はじきざき)にある八角形の灯台である。灯台は1919年(大正8年)に設置され、現在は1990年(平成2年)築の2代目である。灯台守夫婦を描いた1957年の映画「喜びも悲しみも幾歳月」の舞台の1つとしても有名である。
灯台から宿へ向かう途中で見かけた景色。大野亀を望む海沿いの田には、たわわに実のった稲が刈り取りを待っている。
大野亀荘
二日目の宿泊先は、大野亀唯一の民宿「大野亀荘」である。宿泊者は1組だけだったが、食事は「かめの手」など珍しい海の幸が供された。翌日、このあたりでNHK制作のスーパープレミアム「獄門島」の撮影があるそうで、撮影準備がされていた。
2016年9月19日(日)曇り
大野亀を後にして両津に向かう。途中の平松トンネルには地元に伝わる昔話のレリーフがある。
トキの森公園
両津にあるトキの森公園を訪れた。トキの森公園は、佐渡島の中央部に広がる国中平野の東側の新穂地区にあり、公園には「トキ資料展示館」と「トキふれあいプラザ」がある。佐渡島のトキは一時絶滅したが、中国から譲り受けたトキの人工繁殖に成功し、現在は野生トキの復活を目指した試みが行われている。
トキふれあいプラザには、トキが飛翔可能な大型ケージが整備されている。自然に近い環境を再現することで、飛翔、採餌、巣作り等トキの生態を観察できるようになっている。観察回廊からは目の前でトキが餌のドジョウを捕らえる様子を見ることができる。
加茂湖
加茂湖は、周囲約17km、面積4.95kmと新潟県内最大の湖である。元来は淡水湖だったが、明治期に湖水の氾濫を防ぐために開削し海とつながり汽水湖となった。カキの養殖が盛んで生産量は2,000トン以上となっている。
津神神社
加茂湖からさらに右回りで海岸沿いを進む。大川海岸は江戸時代から廻船の港として栄えていた場所である。海の守護神を祀る津神神社は、集落背後の「井戸の上」から1791年(寛政3年)に津神島に遷された。津神橋のたもとには波除け地蔵が建てられている。
大川集落
50戸ほどの家で形成される大川集落では、家々の外壁のいたるところに地元の人々による版画作品が飾られており「大川屋外版画美術館」とも言われている。
姫埼灯台
姫埼灯台は現存する日本最古の鉄造りの灯台であり、佐渡で初めての灯台として1895(明治28)年に点灯した。その歴史的・文化的価値が認められ、国際航路標識協会 (IALA) による「世界灯台100選」にも選ばれている。
赤亀岩・風島弁天
赤亀岩は中央部に空洞のある奇岩である。言い伝えによれば「昔、水津の漁師越後屋が漁に出て大時化にあい、進路を失ったとき、大きな亀が現れ、船はその背に乗り港に入ったという。越後屋は部落の人たちと話し合い、その岩に赤亀と名付け、岩上に祠を建てた。」とのこと。赤亀岩の近くには風島弁天がある。
岩首昇竜棚田
岩首昇竜棚田は、岩首地区の標高350mを超える山間に広がる棚田である。江戸時代ごろから受け継がれたもので、現在460枚ほどの田が残っている。急峻な地形に造られた大小の変形田が、天空に昇る龍のようにつながっている様は見事である。坂の上には展望小屋があり、棚田と奥に広がる海を眺めることが出来る。
岩首養老の滝
岩首昇竜棚田のすぐ近くにある岩首養老の滝は、落差29mを2段で落下する滝で水量もあるので見応えがある。岐阜県にある養老の滝に似ているので岩首養老の滝と命名されたそうである。
帰路
佐渡フェリーで小木港から出港、日が暮れ始めるころ直江津港に到着。軍ちゃん直江津店で食事をして帰路についた。