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厳島神社、原爆ドームから坂の町・尾道へ

広島県には現在2か所の世界遺産が存在している。厳島(宮島)の厳島神社と広島市の原爆ドームは、いずれも1996年にユネスコの世界文化遺産に登録された。今回は2か所の世界遺産のほか、人気の観光地である尾道を訪ねる。

2017年11月23日(木)晴れ

宮島

広島県の宮島は、松島(宮城県)、天橋立(京都府)と並び日本三景の一つに数えられる景勝地である。「宮島」または「安芸の宮島」と呼ばれることが多いが、正式名称は「厳島」である。1996年に厳島神社の建造物群と背後の弥山を含む森林区域が世界文化遺産に登録された。

宮島フェリー

JR宮島口桟橋からJR西日本宮島フェリーに乗船し宮島に向かう。フェリーには直接宮島に向かう「通常便」もあるが、今回は厳島神社の大鳥居の近くを運行する「大鳥居便」を選んだ。船は約10分程で宮島桟橋に到着する。

大鳥居
大鳥居が見えてきた
宮島口方面 みやじま丸
宮島側から宮島口方面を望む。乗船した「みやじま丸」

港からは徒歩で散策することにした。宮島表参道商店街でまず目に付いた世界一の大杓子は、伝統工芸である宮島細工を後世に遺すとともに、杓子発祥の地である宮島のシンボルとして、2年10ヶ月の歳月をかけて制作されたものである。樹齢270年のケヤキを使い、長さ7.7m、重さ2.5tである。嚴島神社が世界遺産に登録されたことを記念して、商店街の一画に展示されている。

世界一の大杓子
世界一の大杓子

厳島神社近くの海岸には厳島神社を造営した平清盛の像が建てられている。周囲には沢山の鹿が見られる。野生ではあるが人に慣れているのか、観光客が近づいても驚く様子はない。島全体ではかなりの数の鹿が生息しているらしい。

平清盛像 鹿
平清盛像/鹿

豊国神社

豊国神社(ほうこくじんじゃ)は、通称「千畳閣」と呼ばれており、国の重要文化財に指定されている。豊臣秀吉が1587年(天正15年)に発願し建立を命じたが、秀吉の死により未完成のまま現在に至っている。桁行13間(約24m)梁間8間(約15m)の単層本瓦葺入母屋造の大経堂で、大伽藍には857畳の畳を敷くことができるそうだ。

千畳閣
千畳閣
千畳閣 千畳閣
千畳閣
千畳閣内部 千畳閣内部
千畳閣内部
厨子
秀吉公が祀られた厨子
奉納された巨大しゃもじ
奉納された巨大しゃもじ
千畳閣の天井
千畳閣の天井
厳島神社方面
千畳閣から厳島神社方面を見る

豊国神社の五重塔は1407年(応永14年)に建立され、高さ27.6m、方3.6m、桧皮葺で和様・唐様を融合した見事な建造で、国の重要文化財である。

五重塔 五重塔 五重塔
五重塔

厳島神社

厳島神社の創建は593年(推古元年)で、その後1168年(仁安3年)に平清盛によって寝殿造り様式(平安時代貴族の邸宅建築様式)を取り入れた現存の規模に造営された。厳島神社の建造物の多くは国宝・重要文化財に指定されている(国宝6棟、重要文化財11棟3基)。また1996年には厳島神社の建造物群と背後の弥山を含む森林区域が世界文化遺産に登録された。

厳島神社の大鳥居は、高さ約16.6m、棟の長さ24.2m、主柱周り9.9m、総重量は約60tあり、木部は丹塗りで、主柱には楠の自然木を、袖柱には杉の自然木を使っている。本柱に計4本の控え柱を持つ「両部大鳥居」の形式である。現在の大鳥居は1875年(明治8年)に建立された8代目である。重要文化財に指定されており、木造の鳥居としては高さ・大きさ共に日本一である。

大鳥居 大鳥居
大鳥居
入口付近から見た厳島神社 入口付近から見た厳島神社
入口付近から見た厳島神社
客神社拝殿 客神社拝殿
客神社(まろうどじんじゃ)拝殿
客神社から本社を望む
朝座屋裏側 朝座屋裏側
朝座屋裏側から豊国神社を望む
東廻廊から大鳥居を望む 東廻廊から大鳥居を望む
東廻廊から大鳥居を望む、右は客神社祓殿、左奥は右楽房
客神社祓殿 東廻廊
平舞台付近から客神社祓殿を望む/東廻廊
大鳥居
大鳥居 大鳥居
平舞台から大鳥居を望む
能舞台 能舞台(左)と能楽屋
能舞台/能舞台(左)と能楽屋
本社祓殿
平舞台から本社祓殿を望む
本社拝殿
本社拝殿内部
反橋
潮が引いた反橋(そりばし)
社殿遠景
社殿遠景

大巌寺

大願寺は高野山真言宗の寺院である。本尊厳島弁財天は、相模国(鎌倉)の江ノ島、近江国(琵琶湖)の竹生島とともに、日本三大弁財天の一つとされている。本堂には弁財天の他にも、宮島に現存する最古の仏像といわれる薬師如来像や、神仏分離で千畳閣より遷された釈迦如来坐像、阿難尊者像、迦葉尊者像など多くの仏像が安置されている。

本堂
大巌寺本堂と伊藤博文が手植えしたとされる九本松

大元神社

大元神社(おおもとじんじゃ)は、厳島神社より前に創建されたとの伝承があり、現在の社殿は戦国時代に再建されたものであると考えられている。本殿の屋根は六枚重三段葺という現存する建物の中では唯一の板葺屋根が特徴で、国の重要文化財にも指定されている。

大元神社拝殿 鹿
大元神社拝殿/境内の鹿

多宝塔

厳島神社の多宝塔は1523年(大永3年)に僧侶の周歓が創建したと伝えられている。もとは大聖院の伽藍を構成する多宝塔だったが、明治初頭の神仏分離令によって厳島神社の管理下へ移管された。

多宝塔
多宝塔
多宝塔からの眺め
多宝塔からの眺め

大聖院

大聖院(だいしょういん)は空海が806年(大同元年)に開基した寺院で、真言宗御室派の大本山である。空海は唐より帰朝後、宮島に渡り弥山にて修行したとされる。

大聖院観音堂
大聖院観音堂
大聖院魔尼殿
大聖院魔尼殿

弥山

宮島の最高峰である標高535mの弥山(みせん)に登る。当初の予定ではロープウェイで登り徒歩で下山するつもりであったが、当日は強風によりロープウェイが運休になったため、徒歩で「紅葉谷コース」を登ることにした。登山路に入ると、しばらくは渓流沿いの山道が続くが、やがて急な石段の道となる。歩くこと1時間30分程で弥山本堂に到着する。

紅葉谷コース
紅葉谷コース出発点付近
弥山本堂
弥山本堂

霊火堂には、弘法大師が修行のときに灯した霊火が1200年以上も燃え続けている。「消えずの霊火」は、広島市の平和記念公園の「平和の灯」の種火にもなっている。

霊火堂
霊火堂

霊火堂の横から更に登り、「くぐり岩」をくぐると巨岩が並ぶ弥山山頂に到着する。

くぐり岩 くぐり岩
くぐり岩
弥山山頂
弥山山頂

標高535mの弥山山頂には3階建ての展望台があり、360度のパノラマが愉しめる。眼下に広がる瀬戸内海の景観は「ミシュラン・グリーンガイド・ジャパン」で三ツ星の評価を受けている。

山頂からの眺め
山頂からの眺め。ロープウェイ獅子岩駅が見える。
山頂からの眺め
山頂からの眺め。豊国神社の五重塔が見える。

帰路は「大聖院コース」を下る。仁王門を過ぎると、ひたすら石段の道が続く。1時間程で「白糸の滝」と呼ばれる小さな滝の横を通り、大聖院参道に出る。

仁王門 白糸の滝
仁王門/白糸の滝
もみじ饅頭
店頭で見られる「もみじ饅頭」の自動製造機
旧宮島町のマンホール
旧宮島町のマンホール

再びフェリーで宮島口に戻り、1日目の宿泊先である廿日市市内の「民宿どんぐりの山」に向かう。

民宿どんぐりの山 夕食 朝食
宿泊先「民宿どんぐりの山」の食事

2017年11月24日(金)晴れ

広島平和記念資料館

広島平和記念資料館は、原子爆弾による被害の実相を世界中の人々に伝え、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に寄与することを目的に、1955年(昭和30年)に開館した。東館・本館からなり、被爆者の遺品や被爆の惨状を示す写真や資料を収集・展示するとともに、広島の被爆前後の歩みや核時代の状況などについて紹介している。

リニューアル工事のため本館は閉館中で、見学できたのはリニューアル工事が完了した東館のみであった。

資料館東館
広島平和記念資料館・東館
展示室入口
展示室入口
パノラマ写真
原爆投下後の広島のパノラマ写真
展示
展示
展示
展示
原子爆弾模型
長崎に投下された原子爆弾の模型
被爆時計
原爆投下時刻の8時15分で止まった時計
オバマ大統領の直筆メッセージ
オバマ米大統領の直筆メッセージ
広島平和記念公園
広島平和記念公園
原爆死没者慰霊碑
原爆死没者慰霊碑

原爆ドーム

原爆の投下により、当時の広島県産業奨励館は一瞬にして大破し、天井から火を吹いて全焼、中にいた30人余りの人々は全員死亡したと伝えられている。爆風がほとんど真上から働いたため、壁の一部は倒壊を免れた。鉄骨部がむき出しとなったドームは、いつからか「原爆ドーム」と呼ばれるようになった。 この「原爆ドーム」(正式名称:広島平和記念碑)は、人類史上初の原子爆弾による被爆の惨禍を伝える歴史の証人として、また、核兵器廃絶と恒久平和を求める誓いのシンボルとして1996年(平成8年)にユネスコの世界文化遺産に登録された。

原爆ドーム 原爆ドーム
元安川と原爆ドーム
原爆ドーム 原爆ドーム
原爆ドーム
原爆ドーム 原爆ドーム
原爆ドーム

広島城

広島城は1589年(天正17年)に毛利輝元によって築城された。西日本でも有数の規模を誇る城だったが、1945年の原爆投下によって倒壊した。1958年(昭和33年)には広島復興のシンボルとして外観が復元され、1989年(平成元年)には築城400年となる機に改装が行われた。天守閣内部は歴史博物館となっている。

広島城
広島城
市電 市電 市電
市電
広島市合流管マンホール
広島市合流管マンホール

大和ミュージアム

広島市を後にして呉市へ移動した。呉市はかつて日本一の海軍工廠のまちとして栄えた軍港であり、世界最大の戦艦「大和」を建造したことでも知られる。大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)は、呉の歴史や造船・製鋼を始めとした科学技術を紹介する博物館である。館内には、戦艦大和を10分の1スケールで再現した巨大模型が展示されており、間近で見学することができる。

大和ミュージアム
大和ミュージアム
戦艦大和
戦艦大和
戦艦大和 戦艦大和
戦艦大和
戦艦大和 戦艦大和
戦艦大和
戦闘機模型 戦闘機模型
戦闘機模型
戦艦長門の模型 軍艦模型 軍艦写真
戦艦長門の模型 / 軍艦模型 / 軍艦写真 
展示場
展示場
零戦
零戦
特殊潜航艇「海龍」
特殊潜航艇「海龍」
艦首部分の実物大模型
海底に沈んだ戦艦大和の艦首部分の実物大模型
波動装置
波動装置

海上自衛隊呉資料館

大和ミュージアムの目と鼻の先には海上自衛隊呉資料館がある。「海上自衛隊呉史料館(愛称:てつのくじら館)」では、日本で初めて実物の巨大潜水艦を陸上展示している。「潜水艦の歴史と技術」や「掃海艇の戦績と活躍」などに関する資料を通して、海上自衛隊の活動や、呉市と海上自衛隊の歴史的な関わりについて紹介する史料館である。

海上自衛隊呉資料館
海上自衛隊で使用されていた潜水艦「あきしお」が屋外展示されている
2
階展示室
掃海部隊の活動を紹介する2階展示室
3階展示室
潜水艦の活躍を紹介する3階展示室
潜水艦内のベッド 潜水艦の食事
潜水艦のベッド / 潜水艦の食事

呉史料館に展示されている「潜水艦あきしお」は、全長76m、基準排水量約2200tの「ゆうしお型潜水艦」で、1986年から2004年まで実際に海上自衛隊で使用されていたものである。この実物の潜水艦に乗艦して、艦長室や士官室などの生活の一部が見学でき、潜航中の環境や生活を疑似体験できるほか、潜水艦の構造を実際に見て体感するという貴重な体験ができる。

「あきしお」の内部
「あきしお」の内部
艦内通路 艦内通路
狭い艦内通路
配管 計器
複雑な配管と様々な計器類
操舵装置
座席に座って操舵体験ができる
呉港 呉港
呉港

江田島

続いて瀬戸内海に位置する江田島を目指す。江田島は音戸大橋・早瀬大橋で呉市とつながっているので、車でも容易に渡ることができる。江田島近海は、栄養分が豊富で美味しい上質な牡蠣が育つため、牡蠣の養殖が盛んである。2日目の宿泊先は江田島にある「ペンションわだ」である。

牡蠣の養殖棚
牡蠣の養殖棚
ペンションわだ 刺身の船盛 焼き魚・酢の物
宿泊先「ペンションわだ」の夕食
煮魚 天ぷら 朝食
夕食/夕食/朝食
江田島市マンホール
江田島市マンホール
旧沖美町のマンホール
町の花「コスモス」に広島湾と雲が描かれている旧沖美町のマンホール

2017年11月25日(土)晴れ

御建神社

翌日は東へ向かい西条駅へ移動した。西条駅の北側にある御建神社(みたてじんじゃ)は、706年(慶雲3年)に諸国に疫病が流行した時、素戔嗚命に祈り疫病が止んだ事から当時の人々が社を建てて祀ったのが当社の起りと伝えられている。昭和初年、山城伏見の松尾神社の分霊を境内に勧請し酒都西条の酒の守護神とした。

御建神社 御建神社
御建神社
JR西条駅
JR西条駅

西条酒蔵通り

西条駅の南側を散策する。西条は、灘・伏見と並び称される銘醸地で、JR西条駅周辺には7社の蔵元が密集している。「酒蔵通り」と呼ばれる一画では、赤レンガの煙突・赤瓦の屋根と、なまこ壁・白壁とが織りなす独特の景観を楽しむことができる。また多くの蔵元が酒蔵の一部を開放したり、酒造りの歴史を学べる展示品を公開したりしている。

観光案内所
西条酒蔵通り観光案内所
酒蔵横丁
地元9社の日本酒が味わえる「酒蔵横丁」
福神井戸
加茂鶴酒造の仕込み水「福神井戸」
加茂鶴酒造 加茂鶴酒造
加茂鶴酒造
加茂鶴酒造 加茂鶴酒造
加茂鶴酒造
酒樽で造られた椅子 酒樽で造られた椅子
酒樽で造られた見学者用の椅子
甑 酒造タンク
米を蒸すために使われた甑(こしき)/酒造タンク
福美人酒造 杉玉
福美人酒造/福美人酒造の杉玉
歴代首相の「國酒」の書
福美人酒造内に飾られた歴代首相の「國酒」の書
亀齢酒造
亀齢酒造
西條鶴醸造
西條鶴醸造
白牡丹酒造
白牡丹酒造
加茂泉酒造
加茂泉酒造
赤瓦の展示
西条のまち並みを象徴する特徴的な赤瓦の展示
本陣(御茶屋)跡 本陣(御茶屋)跡
本陣(御茶屋)跡
東広島市のマンホール
酒蔵の風景がデザインされた東広島市のマンホール
西条町のマンホール
ペンと鉛筆、周囲に市の木「松」と市の花「つつじ」がデザインされた西条町のマンホール
東広島市消火栓 東広島市空気弁 東広島市仕切弁
市の花ツツジがデザインされた東広島市消火栓 / 空気弁 / 仕切弁

西条町を後にして尾道へ向かった。

ガウディハウス

尾道駅裏の斜面地には擬洋風建築の建物が今も多く残されている。大正末期から昭和初期にかけてハイカラな洋風建築が流行ったそうである。そういった建物の中で特に最近注目されているのが「ガウディハウス」の愛称で呼ばれる「旧和泉家別邸」である。わずか10坪の狭い建物の中に当時流行った技法がところ狭しとちりばめられた洋館付き住宅となっている。

ガウディハウス
ガウディハウス 
ガウディハウス ガウディハウス内部
ガウディハウスの内部

散策の途中で立ち寄った吉源酒造場は、江戸安政年間(1854年)に創業した酒蔵で、自社ブランド清酒「壽齢」を醸造していたが、1981年に蔵酒造りを中止した。廃業を惜しむ尾道の人たちに口説かれ、1997年の春、新たな地酒造りを蘇らせた。現在は、製造を福山市の蔵元に委託し「おのみち壽齢」を誕生させている。

吉源酒造場
吉源酒造場

生口島

生口島(いくちじま)は、広島県尾道市に属する島で、瀬戸内海を縦断する「しまなみ海道」のほぼ真ん中に位置している。観光スポットが多く、国産レモン発祥の地として知られている。

光明坊

光明坊は真言宗の寺院で、天平年間(730年頃)聖武天皇の勅願により、行基菩薩が開基建立したと伝えられている。本尊の阿弥陀如来と永仁2年(1294年)に建立された十三重石塔(730年頃)は国の重要文化財に指定されている。

山門
山門
十三重石塔 本堂
重要文化財の「十三重石塔」 / 本堂

レモン谷

生口島では明治からレモン栽培が始められ、瀬戸田町は国産レモン生産量日本一として知られている。特に垂水地区の一帯は「レモン谷」と呼ばれ、レモン栽培の中心地である。

レモン畑
レモン畑
無人販売所
無人販売所
多々羅大橋 多々羅大橋
しまなみ海道の生口島と大三島を結ぶ「多々羅大橋」

法然寺

法然寺は、慶長12年(1607年)に一道上人が開基した浄土宗の寺院で、山門をくぐると、地蔵堂、鐘堂、本堂がある。

法然寺山門
法然寺山門

3日目の宿泊先は、瀬戸田町の民宿「皇船荘」である。宿の女将が「魚なら、どこにも負けないよ」と言うとおり、食卓には数々の魚料理が並び、瀬戸内の味を堪能することができる。

 民宿皇船荘
民宿皇船荘
刺身の船盛 太刀魚煮魚・カレイから揚げ 鯛の塩焼き
豪華な船盛が付いた夕食
太刀魚刺身 朝食
夕食と朝食
瀬戸田のマンホール
尾道市瀬戸田のマンホール

2017年11月26日(日)晴れ

亀の首地蔵

生口島と高根(こうね)島との間の海に立つお地蔵様で、航海の安全を見守っている。名前の由来は、昔この一帯で人を食べていた亀を退治した際、首が海に落ち、亀のような岩になったとの言い伝えによるもので、潮が引くと亀の形をした岩が現れる。

亀の首地蔵
亀の首地蔵

向上寺

向上寺(こうじょうじ)は、生口島の聴音山公園の一角にあり、応永7年(1400年)土地の地頭・生口守平(いくちもりひら)が建立した曹洞宗の寺である。明治6年の火災でほとんどの伽藍は焼失しているが、災禍を免れた三重塔は、国宝に指定されている。

向上寺山門
向上寺山門
本堂
2010年(平成22年)再建の本堂

本堂の裏手から石段を登ると、三重塔に至る。この三重塔は、室町時代の永享4年(1432年)に当時の生口島の領主小早川信元・信昌によって建立されたもので、国宝に指定されている。高さは19m、唐様式と和様式が融合した建築様式が見事で、この時代の建築物の中でもっとも美しいものの一つである。

石段 三重塔 三重塔
石段 / 国宝「向上寺三重塔」
三重塔
国宝「向上寺三重塔」
潮音山山頂
潮音山山頂

尾道市街

尾道市は、岡山市と広島市のほぼ中間に位置しており、瀬戸内海に面し古くから海運による物流の集散地として繁栄していた。「坂の街」「文学の街」「映画の街」としても全国的に有名である。

千光寺

千光寺は尾道港を一望する大宝山の中腹にあり、弘法大師の開基(806年)した真言宗の寺院で、珍しい舞台造りの朱塗りの本堂は別名「赤堂」とも呼ばれている。境内には鏡岩や玉の岩などの珍しい形状の巨岩が多数ある。

鏡岩
鏡岩
千光寺本堂
「赤堂」とも呼ばれる千光寺本堂
絵馬
千光寺の絵馬にはリラックマが並ぶ
玉の岩
玉の岩
ロープウェイ
ロープウェイ
眺望
「千光寺本堂からの眺望」尾道市街と新尾道大橋
眺望
「千光寺本堂からの眺望」尾道水道が川のように見える
三重岩と六地蔵
三重岩と六地蔵
くさり山(石鎚山)
くさり山(石鎚山)
石仏
石仏
石段 石段
市街地に至る石段

天寧寺

天寧寺は1367年(貞治6年)に普明国師が開山した曹洞宗の寺院である。境内山手には1388年(嘉慶2年)に足利義詮が建立した重要文化財の三重塔(海雲塔)があり、この塔越しに見る風景は尾道を代表する風景としてたびたび登場する。本堂に安置されている五百羅漢は全部で526体あり、江戸時代の文化年間から明治初期の約60年間をかけ寄進されたものである。

天寧寺参道入口
天寧寺参道入口
三重塔 三重塔
天寧寺「三重塔」
 
三重塔
天寧寺「三重塔」
 
天寧寺本堂
天寧寺「本堂」
五百羅漢""
五百羅漢

猫の小道

千光寺本堂下にある石段を5分ほど下ると、「猫の細道」という名がつけられ細い路地に出る。尾道出身のアーティスト園山春二が海で拾ったまん丸の石に猫を描いた「福石猫」を路地に置いたことをきっかけに、「猫の細道」と呼ばれるようになったそうである。200m程の細道には、108体の福石猫が置かれている。

福石猫
福石猫
福石猫「アカ」
厄除けの福石猫「アカ」
猫の細道
猫の細道
猫の細道
猫の細道
猫の細道
猫の細道
猫の顔
ひび割れた道も猫に変身
猫の細道
猫の細道

おのみち映画資料館

「おのみち映画資料館」は、明治時代に倉庫として利用されていた藏を改装して作られた映画の資料館である。「映画のまち・尾道」で撮影された不朽の名作「東京物語」(小津安二郎監督)や、広島県出身の新藤兼人監督らの資料、日活の歴代の映画ポスターなどが展示されている。

おのみち映画資料館
おのみち映画資料館
おのみち歴史博物館
おのみち歴史博物館
旧住友銀行尾道支店
旧住友銀行尾道支店

「島ごころSETODA」は、「株式会社島ごころ」が運営する菓子店で、生口島瀬戸田に本店がある。 安心して皮まで食べられる瀬戸田産のレモンを使用した菓子を製造販売しており、瀬戸田レモンケーキ「島ごころ」は、数々の賞を受賞した人気商品である。

「島ごころSETODA」尾道長江店
「島ごころSETODA」尾道長江店
レモンケーキ「島ごころ」
土産に購入した瀬戸田レモンケーキ「島ごころ」
尾道市の消火栓
尾道市の消火栓

鞆の浦

鞆の浦(とものうら)は、福山市鞆地区の沼隈半島の先端に位置する。江戸時代に港町として発展した町には、石組み階段の船着き場・雁木や常夜燈、築100年を超える家屋など、遠い昔を思わせる風景が残っており、さまざまな映画·ドラマの舞台やロケ地になっている。

道の駅「アリストぬまくま」
途中で立ち寄った道の駅「アリストぬまくま」
「鞆の浦」の表示
「鞆の浦」の表示

鞆の浦の常夜燈は安政6年(1859年)に建造され、船の出入りを誘導してきた灯台である。高さ5.5m、海中の基礎の上から宝珠まで11mあり、現存する江戸時代の常夜灯としては日本一の大きさを誇る。

常夜燈 常夜燈
鞆の浦のシンボルの「常夜燈」

太田家住宅は、江戸時代より鞆の浦で作られている薬用酒「保命酒(ほうめいしゅ)」の蔵元だった建物である。瀬戸内海の商家建築を代表するもので、1991年に国の重要文化財指定を受けた。

太田家住宅
太田家住宅
けんちゃんのいりこ屋
「けんちゃんのいりこ屋」
サービスエリアの食事

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