瀬戸内海の離島、小豆島めぐり
穏やかな瀬戸内海播磨灘にあって温暖な気候に囲まれた小豆島を訪ねた。小豆島と言えば素麺や醤油、オリーブを思い浮かべる人が多いだろう。景勝地としては寒霞渓やエンジェルロード、石切丁場などがある。小説「二十四の瞳」の舞台とされ、実際のロケ地として使われた二十四の瞳映画村も人気スポットである。その他オリーブ園や醤の郷など島には見どころが凝縮されている。
2019年11月22日(金)曇りのち雨
日生港から大部港へ
本州から小豆島へ渡るフェリーには神戸港、姫路港、日生港からの船がある。今回はあまり混雑のない岡山・日生港からのフェリーで渡ることにした。所要時間は約1時間となっている。
船から大きな橋が見える。備前市日生町と鹿久居島とを結ぶ備前♡日生大橋(全長765m)の開通によって、日生諸島の鹿久居島と頭島が本土と結ばれた。橋の正式名称に絵文字(ハートマーク)が使われるのは前例がなく、開通時大いに話題になったそうだ。
船は予定通りに大部港に到着。大部港からは時計回りに海岸線に沿って移動することにした。
史跡 大阪城石垣石切丁場跡
小豆島は石材の産出が非常に多く、上質な花崗岩の産地・石の島として知られている。特に大阪城(大坂城)の築城に使った石垣の石切丁場跡が数多く残っている。秀吉時代に採石したという伝承もあるが、多くは徳川幕府による大阪城再築時によるものと考えられている。幕府の命を受けた西国大名は、当初は生駒や六甲などから石を切り出していたが、次第に海上輸送に便利な瀬戸内の島々に採石地を移していったものとみられる。現在は天狗岩、豆腐石、亀崎、南谷、八人石の5か所の丁場跡が残っており、採石途中の矢孔跡が残る巨石などが数多く見られる。
八人石丁場
筑前黒田藩が開いた丁場で、石を切り出す際、大岩がくずれ8人の石工が生き埋めになったという悲しい言い伝えが残っている。
- 史跡の案内と説明文
- 矢穴の工程がみられる石
- 種石やそげ石などが残る
- 刻印の残る石が随所に見られる
- 採石に従事した人たちを供養するための五輪塔と大岩(中央)
- 大きなノミの跡が刻まれた巨石
- 国道436号線に出られる
天狗岩丁場
天狗岩丁場は、大阪城の石切丁場の中でも最大級の規模で、大小あわせて666もの種石やそげ石などが点在しているという。
竹林の中に続く遊歩道の階段を登って行くと、大きな種石「大天狗岩」が姿を現し目の前に迫ってくる。
醤(ひしお)の郷
小豆島では今から400年以上前の文禄の時代から醤油づくりが始まり、現在でも伝統的な「木桶仕込醤油」が生産されている。木桶仕込みの醤油は国内で減少傾向にあるが、島内には醤油を仕込むための木桶が1000本以上あるそうである。
ヤマロク醤油
ヤマロク醤油では「天然もろみ蔵」の見学ができる。100年以上前に建てられたもろみ蔵は、梁や土壁、土間の中に百種類という酵母菌や乳酸菌たちがずっと暮らしている菌たちの家という興味深い説明をうけた。
もろみ樽は三十二石(約6000リットル)の大杉樽を使用、一つ一つが手作りで直径約2m30cm、高さ約2mの大杉樽が40樽、3分の2から半分の大きさの樽が34樽あるという。使い始めてから既に150年以上経過しており、大切に使えば孫の代まではなんとか使えるとのこと。実に長い年月をかけて育まれた、かけがえのないものだということがわかった。
- 木の樽が並ぶ
- ボロに見える杉樽、これこそが菌たちが暮らしている証
- 比較的新しい樽
- 二階部分から見学
- 仕込まれている醤油は、二倍の原料と歳月をかける再仕込み製法
- 木の樽は空気や水を通しながら乳酸菌や酵母菌たちを育てる
- 年季の入った壁の中には多くの菌たちが暮らしているという
- 醤油はその場で購入できる
- 「やまろく茶屋」にはヤマロクオリジナルの醤油デザートなどがある
醸造用の木桶を製造できる桶屋さんは「藤井正桶所」の1社のみであるが、後世に木桶による発酵文化を残すために、小豆島の醤油屋さんが新桶を作るプロジェクトを立ち上げたそうである。桶屋さんに弟子入りして3桶を制作した際の記事を事前に読んでいたので、今回の見学は大変有意義であった。
瀬戸よ志「お休み処」
つくだ煮やさんの2階にあるお休み処で、佃煮バイキングがある。瀬戸よ志特製「ひしお丼」はアツアツのフライとパプリカ、キャベツをのせた丼もので、もろみソースがかかっている。小豆島素麺とのセットメニューを注文した。
馬木散策路
醤油・佃煮工場が軒を連ねるエリアを散策。明治時代に建てられた工場やもろみ蔵が今も現役で残り、真っ黒になった屋根瓦や板塀が雰囲気ある街並みになっている。
「のり佃煮」を販売している島乃香株式会社の自販機があった。小豆島で採れた海苔と小豆島で一番古いヤマサン醤油(1846年創業)の杉桶仕込み醤油を使用しているという。自販機に描かれたお茶碗が立体的に見える。
マルキン醤油記念館
マルキン醤油記念館は、大正初期に建てられた合掌造りの工場を改装した醤油の資料館で、醤油造りの歴史や、江戸時代の醸造工程などを見学できる。
南風台
普段は陸地と陸地が海によって隔たれているのに、干潮時になると海から道が現れて、離れていた陸地と陸地が繋がる現象のことを「トンボロ現象」と言う。小豆島には人気の景勝地「エンジェルロード」があるが、南風台でも似たような現象がみられる。
南風台から細い下り道を降りると城ヶ島が見えてくる。干潮時には城ヶ島へつながる道(希望の道)が現れ歩いて渡ることができる。
二十四の瞳映画村
小豆島出身の作家・壺井栄による小説「二十四の瞳」は1954年(木下惠介監督)と1987年(朝間義隆監督)の2回にわたって映画化され、他にテレビドラマ化などもされている。小説では言及されていないものの、映画においては壺井栄の故郷である小豆島が物語の舞台とされ、実際に映画の撮影も行われた。特に1987年公開の映画ロケ用オープンセットは撮影後に改築され、二十四の瞳映画村というテーマパークになっている。瀬戸内海を見渡す海岸沿いに、大正、昭和初期の小さな村が再現されており、撮影で使用された峠の分教場の木造校舎や大正から昭和初期の民家、男先生の家、漁師の家、茶屋、土産物屋などのオープンセットがある。一歩足を踏み入れると昭和初期にタイムスリップした感覚だ。
- 入口両脇には壁画パネルアートがある
- 村のメインストリート、大正から昭和初期の民家
- 茶屋や土産物屋
- 漁師の家
- レトロな町並みを再現
- 苗羽(のうま)小学校田浦分校オープンセット
- 映画で使用されたオープンセット・岬の分教場
- 廊下
- 教室から望む播磨灘と汐江海岸
- 岬の分教場の教室のセット
- 撮影に使用された小道具
- 昭和の映画館の面影が漂うレトロなギャラリーには往年の大スターたちの写真
- 映画館・松竹座
- 二十四の瞳の像「せんせあそぼ」
- バス停 二十四の瞳映画村
- 内海湾
旧田浦尋常小学校
映画村からほど近い場所には映画のセットではない実際の小学校の建物がある。1902年(明治35年)8月に田浦尋常小学校として建築された切妻瓦葺平屋建校舎で、1971年(昭和46年)まで苗羽(のうま)小学校田浦分校として使用されていた。机やオルガン、子供たちの作品などが当時のまま保存されている。
エンジェルロード
1日に2回、潮がひくと島から島へ歩いて渡れる砂浜の道が現れる。天使が舞い降りる散歩道・エンジェルロードと言われる人気スポットである。弁天島、中余島、小余島、大余島の4島を総称して余島という。展望台がある弁天島は埋め立てで小豆島(前島)と陸続きになり、小余島と中余島は一つの島(中余島)として扱われるため、現在は中余島及び大余島の2島の総称となっている。
迷路のまち
土庄本町には複雑な迷路のように入り組んだ路地が残っている。南北朝時代(約680年前)の動乱の戦いの地となり、攻防戦に備えた路地で、全国に現存する数少ない迷路の一つと言われている。道がカーブしていて先が見えないので、つい迷ってしまうという。
土渕海峡
近くには土渕海峡という「海峡」がある。全長約2.5km、最大幅約400m、最狭幅9.93mであるため、一見したところ川のようにも見えるが、世界一幅の狭い海峡としてギネスブックにも登録されている。土庄町役場では横断証明書を有料(100円)で発行している。土渕海峡という名称は、土庄町の「土」と対岸の渕崎地区の「渕」を取って命名されたという。
土渕海峡から土庄港へ向かい旭屋旅館に宿泊。夕食に並んだ小豆島特産の手延べうどんは、手延製法により作られた手延べならではの強いコシとつるっとした食感でとてもおいしくいただいた。
2019年11月23日(土)晴れ
小瀬の重岩
翌日は小瀬地区にある重岩(かさねいわ)を見ることにした。重岩は小豆島に数多く残る石切丁場跡の一つ「小瀬の丁場」にある巨大な石である。どのような経緯か?どのように乗せたのか?は不明という。今にも崖から落ちそうで落ちない絶妙なバランスを保った巨岩である。
- 入口から続く階段
- 長い階段
- 途中に重岩不動がある
- さらに急勾配な岩場を登る
- 視界が開け正面に小瀬石鑓神社
- 真ん中に小さな祠
- 手前は小豊島(おでしま)後ろは豊島(てしま)
- 瀬戸内海の島々
- 眼下を眺めながら長い階段を降りる
樹齢千年のオリーブの大樹
オリーブの日(3月15日)は昭和天皇が小豆島をご巡幸(1950年3月15日)の際、オリーブの種をお手蒔きされたのが始まりという。 2011年の記念日に合わせて樹齢千年を超えるオリーブの樹がスペイン・アンダルシア地方から1ヵ月間約1万kmの海路を経てオリーヴの森EASTにやってきたという。東日本大震災が起こった翌日(2011年3月12日)に小豆島に到着した。
エンジェルロード2
昨日は雨模様だったのでもう一度立ち寄った。潮が引き始め少しづつ道が現れ始めていた。
宝生院のシンパク
小豆島八十八ヶ所霊場第54番札所、宝生院に立ち寄る。境内にある真柏(シンパク)の大樹は、国指定の特別天然記念物で、日本最大のものと言われている。幹の周囲が16.6m、樹齢は1500年以上と推定される。
美しの原高原・四方指展望台
小豆島随一の景勝地・寒霞渓へと向かう。寒霞渓スカイラインを登っていくと、途中に四方指展望台(しほうざしてんぼうだい)(標高777m)がある。名前の通り四方を遮るものがなく素晴らしい眺望である。また展望台の位置する美しの原高原は小豆島唯一の高原である。
寒霞渓ロープウェイ
寒霞渓は瀬戸内海国立公園に指定された日本三大渓谷美の一つで、長い歳月により創り出された奇岩怪石の景色が楽しめる。秋は渓谷全体が、赤・黄・オレンジに色づく最も美しい時期で、渓谷の谷間を渡るロープウェイからの眺めは目を見張るものがある。こううん駅では駐車場が満車の状態で長い列ができていた。
ロープウェイ 山頂駅に到着。秋の紅葉シーズンには多くの人が訪れる。寒霞渓には「表12景・裏8景」と呼ばれる表登山道と裏登山道が整備されているので今回は表登山道でのルートで下山した。
- 土産物店や食事処がある
- 第1展望所
- 第2展望所からの眺望 眼下に内海湾
- 第2展望所 瓦投げができる
- 寒霞渓表登山道
- 四望頂展望台
- 四望頂展望台
- 四望頂展望台
- 女羅壁
- 老杉洞
- 登山道を下る
- 層雲壇
- 登山道を下る
- 画帖石
- 玉筍峰(ぎょくじゅんぽう)玉筍とは、竹の子のこと
- 蟾蜍岩
- 蟾蜍岩 ひきがえるのような岩
- 錦屏風
小豆島オリーブ公園
寒霞渓を後にして道の駅・小豆島オリーブ公園へ。約2,000本のオリーブ畑に囲まれた公園で道の駅が併設されている。瀬戸内海を見下ろす小高い丘にある白いギリシャ風車は人気のスポットである。風車の周りには箒にまたがった人が記念撮影していた。
小豆島オリーブ園
日本のオリーブ栽培のはじまりは、小豆島オリーブ園からと言われている。香川県は1908年に農商務省指定のオリーブ栽培試験の委託を受けオリーブの試験園を設置、1917年に県より試験用として初めてオリーブが配布された。1220本のオリーブの樹が小豆島に渡り、そのうちの1本が小豆島オリーブ園の原木となり、現在でもたわわに実をつけているという。
樹齢100年のオリーブの原木の森を散策。
オリーブ加工場の見学。オリーブの実を搾る様子を見ることができる。
地蔵埼灯台と釈迦が鼻園地
小豆島の三都半島南端の釈迦ヶ鼻(別名・地蔵埼)に立つ灯台である。正面が備讃瀬戸東航路であり、瀬戸内海を航行する船舶にとって重要な標識となっている。
見晴らしの良い芝生広場から海辺へと下りていくと突然視界が開け目の前に海が広がる。瀬戸内海を航行する船舶や漁船がみえる。
小豆島池田港から高松港へ
小豆島巡りはこれにて終わり、池田港から第三十ニこくさい丸(キリン)で高松港へ向かった。
高松
コトデン瓦町駅の裏手にある隠れた洋食屋さん「グリル洋食アガぺ」に立ち寄り「鉄板ハンバーグセット」を注文した。店内は吹き抜けの2階にカウンター席があり下の厨房の様子がうかがえる。懐かしい洋食屋さんの雰囲気でアツアツのハンバーグはふわっとしていてとてもおいしい。
- グリル洋食アガぺ
- ホテルジェンティール
- 町の花・皐月、町の木・松の盆栽をデザインした高松市(旧国分寺町)のマンホール
- 綾歌郡の綾上町、綾南町が合併して綾川町となった。清流綾川と町の木・梅をデザインした綾川町のマンホール
2019年11月24日(日)曇り
うだつの町並み
美馬市脇町にある国指定重要伝統的建造物群保存地区「うだつの町並み」を訪ねた。「うだつ」とは隣家との境界に取り付けられた土造りの防火壁のことで、二階の壁面から突き出した漆喰塗りの袖壁である。
- 道の駅 藍蔵
- 格子造り
- 屋根近くに設えられた明かり取りの虫籠窓(むしこまど)
- つるべ井戸
- 脇町劇場 オデオン座、山田洋次監督の映画「虹をつかむ男」のロケ地
- うだつの酒屋正木酒店 地酒「うだつのあがる酒」がある
- 400mにわたるうだつの町並み
- 昼間は吊り上げ夜はおろす、日よけ、雨風を防ぐのにもちいた上下二枚の雨戸・蔀戸(しとみど)
- うだつの町並み
- 二階の壁面から突き出した漆喰塗りの袖壁
- うだつの町並み
- うだつの町並み
1792年(寛政4年)に創業した藍商吉田直兵衛の家で、屋号を佐直(さなお)と称し、脇町でも一、二を競った豪商という。
道の駅に立ち寄り野菜や魚などを仕入れた。
淡路SA
淡路SAで休憩をした後、帰路についた。