本州最東端の地、魹ヶ崎
国土が海に囲まれている日本には数多くの岬が存在する。その中でも本州にある東西南北の端にある4岬の一つ、最東端の魹ヶ崎を訪ねた。また旅の楽しみには宿での食事があるが、7月はウニ漁が解禁されたばかり。天候に大きく左右されるため南三陸での宿泊に期待をこめた。
2019年7月13日(土)曇り
魹ヶ崎
魹ヶ崎へのアクセスは南側の山田町からのルートと北側の宮古市からのルートがある。今回は宮古市から向かい、姉吉キャンプ場の駐車場に車を停めた。魹ヶ崎灯台までは陸中海岸自然歩道を約3.8km歩く。始めはいきなり急な登り坂(高低差100m)を一気に登り、そのあとはなだらかな山道が続く。
時折木立の間から海が見える。かなり登ったところで遊歩道の脇に「津波到達地点」を示す立て札があった。東日本大震災で発生した津波(姉吉で約39mだという)の凄まじさを改めて感じる。ちなみに1896年(明治29年)と1933年(昭和8年)にも姉吉には大津波が来襲している。
1時間ほどで魹ヶ崎に到着した。目の前には見渡す限りの海が広がる。もちろん太平洋の向こうに陸地は見えない。あいにく靄がかかり視界が悪い。せっかくなので辺りを散策しながら視野が開けるのを少し待つことにした。
姉吉キャンプ場の駐車場まで戻り、宿泊地である遠野へ向かった。これで本州の東西南北端4ヶ所(魹ヶ崎、毘沙ノ鼻、潮岬、大間崎)全てを訪れたことになる。それぞれの地元が協同で踏破ラリーを実施しており、申請者すれば「本州四端踏破証明書」が発行される。
遠野にある「民宿りんどう」に宿泊する。
2019年7月14日(日)曇り時々雨
世界谷地原生花園
栗駒山南麓に広がり第一・第二湿原がある。高山植物の群生地がみられ7月中旬頃からキンコウカが見頃を迎える。今回は残念ながら雨模様だったので、また機会があれば訪れたい。
小雨の中駐車場から軽い上り坂の樹林を進むとヤマアジサイが一面に咲いていた。雨に濡れたアジサイはことのほか生き生きしていた。
細倉マインパーク
栗原市鶯沢にある細倉マインパークを訪れた。1987(昭和62)年に閉山した細倉鉱山の坑道を実際に歩きながら見学するテーマパークである。江戸時代から近代日本の産業を支えてきた細倉鉱山の歴史を垣間見る機会となる。2016年に展示内容がリニューアルされており、謎の展示「タイムトラベルゾーン」が無くなって純粋な鉱山の見学施設になっている。
観光坑道
坑道内は年中温度が15℃位のため上着等を準備して見学するとよい。入口を入ったとたんヒヤッとして寒いくらいである。
少し歩くと坑内事務所があった。中に人が居るのかと思ったら人形だった。
- 怖いほどリアルな人形で再現された坑内事務所
- 合掌枠
- 発破点火の様子が再現される
- 坑内で働く人々
- 岩石の種類
- 坑道
- 採掘の跡地
- 採掘の跡地
- 鉱山立体模型
- 坑道を降りるエレベーターの箱
- 坑道
- 坑内作業員が休憩するためのスペース・坑道内休憩所跡
坑道の一番奥に守り神を祭る「山神社」があり、毎年正月にお神酒を奉納している。長年奉納した酒を取り出した際に非常にまろやかで口当たりのいい酒だったことから、酒を3年間寝かせてから引き渡すシステムを思いついたとのこと。坑道の最深部(地下12m)にあり1年を通して温度15~18℃、湿度70~80%と酒の貯蔵に適しているという。お酒を持ち込み1本510円で(1人3本まで)総数に限りはあるが誰でも利用できる。
ゴールドパンと呼ばれるお皿ですくって砂金を採り、採った砂金はカードにして持ち帰ることができる。結構真剣にやっている人がいた。
鉱山資料館
約1200年前からとされる鉱山の歴史、坑の跡やそこで発見された遺物、古文書、道具、写真などが展示されている。藩政時代の鉛精錬や採掘を再現した人形、模型などがあり、鉱山の移り変わりを知る一助となる。
旧細倉鉱山(栗原市鶯沢細倉)が全盛だった昭和30年代の細倉の町並みを1000分の1のスケールで再現したジオラマが展示されている。
南三陸
東日本大震災から8年4ヶ月、復興の進んだ志津川地区の国道398号線を走ると、リニューアルオープン(2017年3月3日)した南三陸さんさん商店街があり、近くにはかつて仮設住宅のそばにあったモアイ像の姿もあった。志津川町にある「津の宮荘」に宿泊。期待を裏切らない満足のいく食事であった。
2019年7月15日(月)晴れ
部屋から眺める夜明けの海は穏やかでキラキラと輝き、打ち寄せる波と返す波の音だけが聞こえていた。
南三陸を出発して産直がんばる館で買い物。町内産の新鮮な野菜が色々と揃っている。
- JR気仙沼線・陸前豊里駅の駅舎の中にある「産直がんばる館」
- 町の木・イチョウをデザインした登米市(旧登米郡豊里町)のマンホール
- 栗駒山をバックに伊豆沼で越冬する白鳥をデザインした登米市(旧登米郡迫町)のマンホール
- 桜と町章をデザインした登米市(旧登米郡登米町)のマンホール
みやぎの明治村
登米懐古館を見学しその後武家屋敷通りを少し散策した。
森舞台の愛称で親しまれている能舞台で、300年近い歴史と伝統を誇る登米能(とよまのう)のホームステージである。豊かな自然の中で竹林をバックに佇む森舞台は、能舞台建築の伝統を踏まえながら、随所に新しい個性的な工夫がなされているらしい。設計は、新国立競技場の設計なども手掛けた建築家の隈研吾氏。
追分温泉
追分温泉に立ち寄り、食事付き日帰り温泉でゆっくり休んで帰路についた。