琉球王国の歴史と文化に触れる旅
本土とは全く異なる歴史と文化が息づく沖縄本島を訪れた。世界遺産の「琉球王国のグスク及び関連遺産群」に登録された5つのグスク(城跡)のうちの2つ、今帰仁城跡と座喜味城跡を訪ねた。
2019年12月10日(火)晴れ
羽田から那覇へ
沖縄に近づくにつれ上空から眺める海は珊瑚礁の海の色エメラルドグリーンでとても綺麗である。那覇空港に到着するとやはり暖かく南国の感じで気分も軽くなるような気がする。
国際通り周辺
空港から那覇都市モノレール(ゆいレール)に乗車、県庁前駅で降車し、まずは拠点とするホテルロコアナハへ向かう。荷物を預けて市内散策へ出かけた。国際通りは沖縄県の県庁所在地に隣接する通りで、観光客を対象としたたくさんの店が軒を並べ賑わっている。国際通りから市場本通りへ入りやちむん通りを目指した。年中暖かいイメージが強い沖縄であるが、実は四季もあり12月の気温は東京で言うと4月並みの気温と言う。冬至を迎える頃には北風も強く寒波も到来するようだが、天候さえ良ければのんびり散策が楽しめるので今がオススメのようだ。
市場本通りからやちむん通りへむかう道にはいろいろな陶板がありとても興味深い。
やちむん通り
昔の沖縄の面影を残す石畳の通りに、窯元やショップ、飲食店などが軒を連ね沖縄のノスタルジックな風景が味わえる。
壺屋焼物博物館
沖縄を代表する焼き物のまち、壺屋やちむん通りにある資料館である。壺屋焼には荒焼(あらやち)と呼ばれる南蛮系(ベトナム方面)の釉薬を掛けずに焼しめる焼き物と上焼(じょうやち)と呼ばれる大陸系の絵付陶器がある。
- 壺屋焼物博物館
- 地中の様子が解る壺屋焼の層
- 17~18世紀の焼き物
- 年代ごとに焼物が展示されている1階展示室
- 20世紀の焼物展示ブースから復元民家や日常生活で使われていた壺屋焼の展示ブース
- 洗骨を入れて墓室に納める、琉球王朝時代以来続いた沖縄特有の埋葬方法を象徴する蔵骨器(ぞうこつき)
- 2階展示室
南窯
主に酒甕(さけがめ)水甕(みずがめ)厨子甕(ししがめ)などを焼いた荒焼窯で現存する唯一のものという。
路地裏
緑に覆われた石垣が続く路地裏は沖縄らしい風景が楽しめる。
壺屋うふシーサー
琉球王国時代から300年以上続く壺屋焼きの巨大シーサーで、壺屋の陶工達により作られ町のシンボルとして設置(2013年2月9日)された。「うふ」とは沖縄方言で大きいという意味で「さいおんうふシーサー」と兄弟。定期的に口から水煙を吐くので子供達に人気のようだ。
ホテル ロコイン沖縄1Fにある「沖縄風居酒屋 あがいてぃーだ」で夕食。
2019年12月11日(水)雨のち晴れ
ホテルで朝食をすませ、予約しておいたレンタカーで出発。本島北部に位置する沖縄美ら海水族館、今帰仁城跡、古宇利島へと向かう。道の駅許田で沖縄美ら海水族館の入場券を割引購入した。
沖縄美ら海水族館
海洋博公園の正面玄関・中央ゲートを入り階段を降りると噴水広場がある。天気が良ければ正面に青い海と伊江島が望める。
屋根をなくし自然光をいっぱいに採り入れた大水槽ではサンゴ礁に暮らす魚たちが賑やかに泳ぎまわる様子が楽しめる。
- 自然光をいっぱいに採り入れたサンゴの海
- クラカケチョウチョウウオ
- ウメイロモドキ
- ヨスジフエダイとツノダシ
- テングハギ
- 別名ナポレオンフィッシュ
- ナンヨウツバメウオとツバメウオ
- タマカイ
- 熱帯魚の海
- ゴシキエビとニシキエビ
- チンアナゴとカクレクマノミ
世界最大の魚ジンベエザメや世界初の繁殖に成功したナンヨウマンタが観察できる巨大水槽「黒潮の海」はずっと眺めていても飽きないといえる。
総合休憩所美ら海プラザは沖縄の海についてわかりやすく展示するコーナーが併設されていて、貴重な標本や模型などがある。
体長約3m、体重1500kgにもなる大きな体のマナティーは人魚のモデルといわれている。
園内にはところどころに植栽のオブジェがあり目を楽しませてくれる。
今帰仁村歴史文化センター
今帰仁城跡や今帰仁村の歴史や文化を紹介しているので、先ずこちらで予備知識を学習してから城跡見学をすることにした。
今帰仁城跡
沖縄本島の北部、本部半島にある城跡で、13世紀までさかのぼる古い歴史をもち堅牢な城壁に囲まれている。 2000年にユネスコの世界遺産に登録された「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の5つのグスク(城跡)は首里城跡、今帰仁城跡、座喜味城跡、勝連城跡、中城城跡である。首里城以外は建物らしきものはなく城門や石垣が残るのみである。ただし首里城は2019年10月31日に発生した火災により惜しくも正殿と北殿が全焼、南殿もほぼ全焼、琉球王国時代からの1500点以上の絵画や漆器などの工芸品も焼失、焼損してしまった。今帰仁城跡の石垣は古生代石灰岩を使用した野面積みである。
- 高さ2m前後の比較的低い石垣が蛇行して続く
- 野面積みの城壁
- 砂糖の原料になるサトウキビの茎
- 琉球王国のグスク及び関連遺産群
- 平郎門は本門で昭和37年の琉球政府時代に修復された
- 平郎門から石畳の道と階段、右手に谷間を利用した幅の狭い急な登り道(旧道)がある
- 大庭と志慶真乙樽(しじまうとぅだる)の歌碑
- 城内下之御嶽(そいつぎ)
北殿跡北側の一番高いところは御内原(うーちばる)と呼ばれる。かつて女官の生活の場所と伝えられ城内でも神聖な場所とされている。大隅(うーしみ)一帯の石垣や晴れた日には離島の伊是名島、屋那覇島、辺戸岬まで眺めることが出来るという。
- 御内原からの眺め
- 大隅は戦時に備え馬を養い訓練した場所
- 虹が現れる
- 主郭から眺める志慶真門郭(しじまじょうかく)
- 主郭にある火之神の祠
- 主郭から志慶真門郭へ降りる
- 主郭の城壁
- 志慶真門郭から主郭を眺める
- 最も高い石垣が築かれた堅牢な大隅の城壁
古宇利大橋
今帰仁村の古宇利島と名護市の屋我地島を結ぶ全長1960mの橋(2005年2月8日開通)で人気のスポットである。橋の両側には微妙に色が変化する海が広がりその中を進んでいく気分は爽快である。
ハートロック
本部半島の沖合に浮かぶ古宇利島は1周8kmほどの小さな島でサトウキビ畑や紅イモ畑が広がる長閑な離島である。その島の北側にあるティーヌ浜にハート型の岩があり、人気のスポットになっている。右側から二つの岩を重ねて見るとよりハート型に見えるという説もあるようだ。
古宇利島を後にして那覇のホテルへ戻り夕食にした。
2019年12月12日(木)晴れ
3日目は沖縄本島中部エリア、読谷村から沖縄市、うるま市を通り海中道路で伊計島を目指す。
座喜味城跡
世界遺産5つのグスク(城跡)の2か所目を訪ねた。開場や閉場の時間が定められていないので時間に縛られることもなく自由に散策できるのはうれしい。座喜味城跡の石垣は石灰岩の相方積みで築いた城壁であるが、一の郭への石門周辺は上部に布積みが見られる。
一の郭の城壁は年末年始に向けて草取りなどの作業が行われていた。
残波岬
東シナ海に面した沖縄本島最西端の岬で、晴れた日には灯台上から慶良間諸島まで眺望できるという。
- ゴツゴツした岩場
- 1990年10月6日午後8時40分、台風(ウーカジ)21号の大波が大岩を動かした
- 珊瑚礁が隆起してできた琉球石灰岩で覆われてる
- 琉球初の進貢使として中国に5回渡った読谷村の英雄・泰期
- 高さ30mの断崖絶壁が約2kmにわたって続く
- 珊瑚礁が隆起してできた琉球石灰岩
- ごつごつした岩が続く海岸線
- 大きさ日本一のシーサー(高さ8.75m、長さ7.8m)
- 残波岬の荒波、琉球王国の官船「進貢船」と読谷山花織をデザインした読谷村のマンホール
お菓子御殿
読谷村にある店舗ではお菓子の製造が見える工場が併設されている。焼きあがった紅いもタルトが次々と梱包されていく様子が見られる。
やちむんの里
やちむんを作る工房が軒を連ねる工芸の村で、読谷壺屋焼、読谷山焼(ゆんたんざやき)と読谷山焼北窯の3つの窯があり、肌で焼き物を感じることが出来る。1970年代壺屋焼の工房の集まる那覇市壺屋では環境問題(登り窯による煙害)が深刻化し陶工たちは移転を模索していた。米軍基地の跡地利用として文化村構想のあった読谷村に移転を決意、1972年(昭和47年)沖縄を代表する名工・故金城次郎氏(人間国宝)を筆頭に多くの陶工たちが移り住み、1980年(昭和55年)読谷山焼(ゆんたんざやき)の名称で共同の登り窯を築いた。
読谷山焼陶器市(12月13~15日)の準備中。奥の工房は金城次郎さんのお孫さんである藤岡香奈子さんの陶芸工房「ふじ」である。
登り窯で焼いた作品は、焼物の置く位置、火のあたる向きや角度によって繊細な違いが生まれるのである。
万座毛
本島西海岸の恩納村にあり、隆起した珊瑚岩から成る高さ約20mの絶壁に象の鼻のような形をした岩がある。
- 象の鼻のような形をした岩
- 断崖絶壁
- 対岸の建物は万座ビーチ(ANAインターコンチネンタル万座ビーチリゾート)
- 夫婦岩
- 海の色が綺麗!
- 稲、カンカラ三線とパインアップルをデザインした金武町屋嘉のマンホール
海中道路
うるま市の勝連半島と浜比嘉島、平安座島(へんざじま)、宮城島、伊計島の4つの島を車で渡ることができる全長4.75kmの橋は、左右に広がるエメラルドグリーンの海を眺めながらのドライブが楽しめる。
天気が良ければエメラルドグリーンの海を眺めることが出来るのだが・・・残念。
沖縄の旅を満喫、那覇市内に戻りレンタカーを返却、空港食堂に立ち寄り軽い食事をして帰宅した。