湖東三山巡りと彦根城のひこにゃん
滋賀県にある湖東三山と彦根城を訪ねた。紅葉が見頃を迎え多くの人で賑わっていた。
2014年11月22日(土)晴れ
百済寺
百済寺は聖徳太子によって創建されたと伝えられる天台宗の寺院である。かつては山全体に広がるほどの規模を持つ寺院であったとされるが、幾度もの火災と織田信長の焼き討ちにより建物はいずれも焼失した。その後、1650(慶安3)年までには復興したという。
庭園
庭園へと続く入口から境内に入る。山腹を利用して造営された庭園は、東の山を借景とした池泉廻遊式庭園となっている。
表参道
庭園を散策してから、本堂へと続く表参道へ出た。長い石段が続く道である。表参道とは別になだらかな坂が続く「らくらくコース」もある。
本堂
現在の本堂は1650年に建てられたもので、かつての本堂はさらに山の上の場所にあったという。本堂に安置する十一面観世音菩薩は太子の作と伝える。
金剛輪寺
金剛輪寺は奈良時代の行基菩薩による創建とされ、通称松尾寺(まつおうじ)。百済寺と同様、織田信長の焼き討ちによりほとんどの建物は焼失した。
名勝庭園
桃山から江戸時代にかけて造営された名勝庭園は近江路の名園として知られている。
千体地蔵
本堂へと続く参道には千体地蔵が並ぶ。参道脇に地蔵堂と不動堂がある。
本堂と三重塔
現在の本堂大悲閣は佐々木頼綱が再建したもので、国宝である。
西明寺
龍應山西明寺は、寺伝によれば平安時代の三修上人によって創建されたと言われている。織田信長による焼き討ちに遭いつつも、境内奥にある本堂と三重塔は焼失を免れ、現在は国宝となっている。
本堂
本堂は鎌倉時代に作られたものである。
名勝庭園
境内には名勝庭園と本坊があり、庭園を鑑賞しながら二天門へと抜けることもできる。江戸時代に造営された庭園は池泉観賞式である。
長浜市街を散策
長浜城
長浜城を眺めつつ長浜駅に立ち寄る。長浜城は羽柴秀吉が一時本拠とした城である。
北国街道
彦根から近江国境の栃ノ木峠までを北国街道と呼ぶ。日本海側の北陸道へと続く道である。
感響フリーマーケットガーデン
長浜鉄道スクエア
長浜鉄道スクエアは旧長浜駅の駅舎を利用したもので、現存する鉄道駅舎としては日本最古のものである。
慶雲館
慶雲館は、実業家の浅見又蔵により建設された迎賓館である。池泉回遊式庭園がある。
夕陽
道の駅 湖北みずどりステーションの近くで、琵琶湖に沈む夕陽を眺めた。
琵琶湖畔に宿泊。
2014年11月23日(日)晴れ
琵琶湖
琵琶湖で迎える朝。朝方はかなり冷え込んだ。
彦根城
彦根城は譜代大名である井伊氏14代の居城であった。築城は1622(元和8)年で、完成までには19年の歳月を要した。本丸は山の上に築かれている。
天秤櫓
天秤櫓は大手門と表門からの道が合流する場所にあり、建物は長浜城の大手門を移築したものといわれている。1854年に行われた修理の際に石垣が積み直されたため、左手が新たに積まれた「落し積み」で右手の高石垣が築城当初からの「牛蒡積み」となっている。
- 廊下橋は非常時には落とし橋となる
- 天秤櫓を下から見る
- 石段を登り
- 天秤櫓は橋を中央として左右対称に建てられている。天秤のような形をしているところから天秤櫓と呼ばれている
- 内部
- 天秤櫓の内部
- 眺め
- 定時に鐘がつかれ「日本の音風景百選」
太鼓門櫓
太鼓門櫓は、どこかの城の城門を移築したものとされている。
天守
天守は現存天守であり国宝である。大津城の旧天守を移築したもので、もともと5階4重だったものが3階3重に変更されている。
玄宮楽々園
彦根城跡の一つである楽々園は、大名庭園の玄宮園とともに「玄宮楽々園」とされる。楽々園は彦根藩主であった井伊家の下屋敷であった。
玄宮園には池水を中心に9つの橋があり、回遊式庭園となっている。池の畔からは天守もよく見える。
ひこにゃん
彦根城の人気キャラクター「ひこにゃん」。この日、ひこにゃんは彦根城博物館(表御殿)の前に登場するとのこと。行ってみると既に大勢の人で賑わっている。しばらく待つと奥の扉が開いてひこにゃんが登場。30分ほどパフォーマンスを披露した。
佐和口多聞櫓
佐和口多聞櫓は佐和口に向かって左翼に伸びる櫓で、細長い長屋のような形をしている。
馬屋
馬屋は表門の外にあるL字形の建物で、現存する大規模な馬屋は全国的にも珍しいとされる。
SL北びわこ号
SL北びわこ号が走るというので橋の近くで待つ。SL北びわこ号は米原駅から木ノ本駅まで運行される臨時列車である。
SLを見た後は、岐阜県にある養老公園に立ち寄ることにした。
養老公園
養老公園は紅葉の見頃で多くの人で賑わっていた。養老せせらぎ街道を少し歩いて、上流にある名瀑・養老の滝を眺めた。
養老神社には菊水泉という湧き水がある。養老には「孝子源丞内」伝説があり、酒の湧く泉の話が知られているが、この泉ではないかと言われている。
最後は割烹の魚仲に立ち寄り夕食。