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奈良・京都、古都の横顔

2000年4月2日(月)〜2000年4月6日(木)

1日目 – 2000年4月2日(日)曇り

名古屋へ

東海道新幹線「ひかり207号」で名古屋駅までしばしの休息である。東海道新幹線を利用するのは何年ぶりだろうか。以前に利用した時は、2階建て食堂車が人気だった頃だから、かなりの年月が過ぎたことになる。そういえば最近、名古屋駅前に「JRセントラルタワーズ」という高層ビルができた。

室生寺

名古屋(近鉄名古屋)駅からは近鉄特急に乗車。車窓の景色を眺めつつ2時間ほどで目的地・室生口大野に着いた。ここから奈良交通の観光バスを利用し、室生寺へ向かう。どこでもそうだが、高い山の上に寺社を建造するのは大変である。室生寺もそんな寺の一つ。五重塔はやや損壊気味であり、非常に残念だった。続いて長谷寺を拝観するのだが、こちらは非常に浅く長い階段である。特に登廊に関してはそれが如実に当てはまるのだった。やや時間が足りなくなってしまいそうだったので、本堂のみの見学にとどめ、引き返した。

多武峰

長谷寺を後にし、今晩の宿がある多武峰に到着。宿泊は多武峰観光ホテルである。チェックインの前に、ホテル向かいの談山神社の境内を散策。内部は公開されていなかったが、十三重の塔や木々の織りなす光景は素晴らしいものであった。

2日目 – 2000年4月3日(月)曇り

石舞台

多武峰を出発後、明日香村に入る。途中で亀石というのを通り過ぎたようだが、よくわからなかった。明日香村での移動手段は自転車だ。まずは石舞台古墳を見学。実際に見てみると、大きな石が乗っかっているということがよくわかる。ただ、中に入った時には石が落ちないかと心配になるものである。自転車に乗って飛鳥を走るというのは実に気持ちいい。風を切って走るというのはこのことをいうのだろうか。

石舞台古墳
そのままの形を残す石舞台古墳

橘寺と高松塚古墳

続いて橘寺へ。この周辺地域を「橘」と呼ぶのだそうだ。なんでも、聖徳太子生誕の地なのだとか。さらに自転車で高松塚古墳まで移動。高松塚古墳といえば壁画で有名な場所だ。内部については隣接する壁画館で詳しく知ることができる。あと、飛鳥歴史公園館でアンケート用紙を書いた。(※編注:後日、レジャーシートを送って頂きました)

橘寺 岩

法隆寺

ここからはバスでの移動である。法隆寺は、聖徳太子が造らせたとされる寺の一として有名だ。千年もの歴史がある法隆寺を参拝することができて、本当に光栄である。

法隆寺 門

魚佐旅館

本日の宿泊は魚佐旅館。興福寺の五重の塔を眺められる絶好の地に位置する旅館だ。

3日目 – 2000年4月4日(火)晴れ

東大寺

奈良公園内には、春日大社からの神の使いとして、鹿が多く生息する。付近では鹿せんべいが売られているが、中には鹿せんべいの類似品もあるようだ。しばらく歩き、東大寺に入る。その大きさで知られる大仏さまは、大仏殿の中である。

東大寺 大仏殿
東大寺大仏殿

近鉄奈良駅周辺

近鉄奈良駅前の商店街で、おみやげになりそうなものを探す。奈良漬けなどが有力候補だ。なお歴史的建造物として名高いJR奈良駅は建て替えがささやかれている。

興福寺

興福寺

薬師寺

薬師寺へ移動するため、大和西大寺駅で乗り換えて西の京駅で下車。奈良の中心部からは、かなりはずれたところにある。奈良時代に建てられた多くの建物は、度重なる火災により東塔を除いて焼失したが、1960年代以降、順次再建され、今日に至る。ただ、建築基準法などの制約から、創建当時の建築方法を用いての完全な復元は難しいようだ。

薬師寺 東塔 薬師寺 西塔 薬師寺 門
1300年という歴史を重ねてきた東塔と、再建された西塔

唐招提寺

薬師寺からそれほど遠くない場所にある唐招提寺に立ち寄る。唐招提寺を出た後しばらく歩き、尼ヶ辻駅から近鉄電車に乗る。

唐招提寺 境内

聖護院御殿荘

再び大和西大寺駅で乗り換え、丹波橋から京阪丸太町駅まで移動。宿泊は聖護院御殿荘である。翌日の市内観光に備え、市営バス・地下鉄共通の「京都観光一日乗車券」を購入しておいた。

4日目 – 2000年4月5日(水)雨

清水寺

あいにくの天気。昨日と同様徒歩とバスによる散策である。最初に清水寺を見学。途中の参道には、みやげもの店が多く立ち並ぶ。山の中腹に建ち、「清水の舞台」として知られる舞台は、他に類を見ない建築である。

清水寺
言わずと知れた清水の舞台

慈照寺

室町将軍・足利義政によって造園された慈照寺。

観音殿 銀閣
室町時代を代表する銀閣

鹿苑寺

歴代の室町将軍の中でも最大の栄華を誇った足利義満により造園された鹿苑寺には、「金閣」として知られる舎利殿がある。

金閣
水面には金閣の鏡像が見える

北野天満宮

北野天満宮は学業成就の神社である。

JR京都駅

北野天満宮前バス停から京都駅までは快速バス(205系統)を利用する。駅ビルの地下「田ごと」でざる蕎麦を食べたが、上品にも京都は量が少ないのである。天ぷらセットにでもしておけばよかった。

京都駅
1997年に竣工した4代目駅ビル。景観にそぐわない、との声も。

梅小路上記機関車館

昼食後、梅小路蒸気機関車館を見学。日本の鉄道開業100周年を記念して1972年に開設された梅小路蒸気機関車館は、様々な型式の蒸気機関車を動・静態保存している。旧二条駅舎を移築した資料展示館では、蒸気機関車の仕組みなどを学ぶことができるのだ。中でも人気なのはC57型1号機とC62型2号機ではないだろうか。それぞれ「SLやまぐち号」と「つばめ」の牽引機として活躍。動態保存されているため、躍動感があふれる機関車の汽笛を耳にすることができた。おみやげに、下敷きを購入した。

機関庫
かつての機関庫をそのまま利用している

聖護院御殿荘

熊野神社前で下車、宿泊は前日と同じく聖護院御殿荘である。前日に注文しておいた、聖護院特製の八ッ橋「聖」を受け取る。

5日目 – 2000年4月6日(木)晴れ

寂光院・三千院

大原方面に向かい、寂光院と三千院を見学した。

寂光院
寂光院

三千院 三千院
三千院

東寺

昼食をとり、東寺を眺める。東寺真言宗の総本山であり、正式名称は「救王護国寺」。桓武天皇が796年に創建し、羅城門の東に位置することから東寺の名がついたとされる。東寺は隆盛であったが、室町時代後半に兵火により荒廃した。その後、豊臣秀吉や徳川家光の手により再興される。

東寺
東寺が遠くに見える

京都タワー

京都駅では自由があったため、線路を渡った反対側にある京都タワーを見てきた。1964年に開業した京都タワーは総重量800トン。収容人数500人という展望台からは遠く東山や北山の山々を望み、四季折々の風情を楽しむことができる。京都タワーの中にはホテル、ショッピングモール、食堂街などがある。景観を損なうということで何度も論議されたものであるが、今となっては観光スポットとなった感もある。京都駅14時50分発「ひかり160号」で東京に向かった。

京都タワー
駅前にそびえ立つ巨大なタワー

京都・奈良へと思いを馳せる

もう少し時間があったら…帰りの新幹線の窓の外を眺めながら、ふと思った。もっともっと見てまわることが出来ただろうに。そして同時に考えた。奈良や京都は、一目見ただけで理解できるものではない。自分の知ったことなど、ほんの触りの部分に過ぎないのだということを。巨大な古都の存在の背景には、壮大な歴史が聳え立っているのだから、それをたった一度で済ませるということなど、到底できない。

京都を代表とする関西方面へは、今までほとんど訪れたことがない。要するに今回の旅が初体験である。初めて訪れる地には何らかの抵抗がある。特に、東に住んでいる者からすれば、ずっと遠くの都だからだ。今でこそ新幹線や高速道路を利用して、誰でも早く簡単に行く事の出来る時代だが、一時代前は本当の意味で遠くの都だった。現代というのは、本当に便利な時代である。

しかし奈良や京都にある立派な建造物の数々は、今から千数百年も前に建てられたものが、ほとんどであるらしい。そのころの移動手段と言えば、歩くことしかなかったはずだ。都から離れた場所の人々は、都まで歩いて仏様を拝んだのだろう。一生に一度、都に行けるか行けないかだったのかもしれない。その時代の建造物が今もなお保存されているのだから、本当にすごいことである。これから先も、守れるだけ、守っていかなければいけないのだ。

実際に現地に行って見てみると、やはり迫力が断然違う。お寺にしてみても、写真から受ける印象と、実物を自分の目で見た印象とでは、その存在感や臨場感が全く違う。写真を見る限りでは解らないような事も、本物を見れば一目で解ることが多い。「百聞は一見に如かず」とはこの事を言うのだろう。そして東大寺の大仏様にしてみても、その迫力には圧倒された。他にも、言い出せばいくらでも出てくる。だからこそ感動した数もまた、それだけ多かったのである。

奈良に着いただけでも興奮した。かなり大げさだと思うが、初めて訪れる地だけに、気持ちだけが先走ってしまったのである。久しぶりの旅行ということもあって、気持ちを押さえきれなかったのかもしれない。特に感動するような材料はなかったと思うのだが、何らかの満足感で、心は早くも満たされていた。この旅行への期待、不安、全ての気持ちが表れたのであろう。とにかくこれが、いよいよこの日から始まる、旅の最初の感想である。

この旅行には、自由散策をする日が含まれている。つまり、自分が責任を持って、奈良や京都市内を見学するという、なかなか難しいものである。これは前もって自分で決めておくもので、いわゆる観光ツアーとは少し違う。一見簡単そうに思えるが、そんなことはない。普段の旅行で慣れている人は別として、今までほとんど、旅の計画を立てた事のない自分にとっては、かなり頭を悩ませられるものだった。本を見て、そのまま観光コースをたどっていっても良いのだが、それではあまりにも芸がない。行きたい場所には、なるべく行くようにする。なおかつお決まりの名所も組み込まなくては、と思ったよりも結構大変なのである。まあ、そんなかいもあって、現地での大きな失敗や迷いもなく、無事に散策を終える事が出来たのだった。

今回の旅は全体的に見ても、およそ成功といってまず間違いないだろう。この紀行文では全て伝えることが出来なかったが、この旅を通して学んだ事は沢山ある。今まで知識として知らなかったことはもちろんのこと、今まで知っているつもりだったものでも、改めて理解したことが幾つもある。

そしてぜひもう一度、奈良や京都へ行ってみたい。出来るならば、もっとゆっくり見てみたい。そんな思いを馳せて、今回の旅を振り返ってみた。

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