国宝「姫路城」と天空の城「竹田城跡」
日本初の世界文化遺産に指定された国宝姫路城は、白鷺城の愛称で親しまれる名城であるが、「平成の修理」を終え、一段と優美な姿に生まれ変わっていた。天空の城として人気が高い竹田城跡では、雲海に浮かぶ姿は見られなかったが、ほぼ完全な形で残る遺構を見学することが出来た。
2016年11月3日(木)晴れ
姫路城
早朝に姫路市に到着。国宝の姫路城は日本を代表する城郭であり、別名「白鷺城(しらさきじょう・はくろじょう)」の愛称で親しまれている。白漆喰総塗籠造りの鮮やかな白の城壁や5層7階の大天守と東、西、乾の小天守が渡櫓で連結された連立式天守が特徴である。度重なる戦火を奇跡的に免れ、江戸時代初期の建造物の多くが現存している。1993年には日本初の世界文化遺産となった。2009年に着工した「平成の修理」は2015年に竣工した。
菱の門は、三の丸から二の丸へと通じる大手口を固める櫓門で、姫路城内でもっとも大きく立派な構えの門である。名前の由来は柱の上部にある冠木に菱の紋が打たれていることから名づけられたそうだ。
一説によれば、姫路城の着工当初に石垣となる石が集まらず難儀していたところ、城下の貧しい老婆が家にあった古い石臼を差し出した。早速この石臼を石垣に組み込むと、この話が評判となり町の者が進んで石材を寄進しだし、城が完成したと言われ、この石臼は「姥が石」と呼ばれるようになったそうである。
天守
姫路城の大天守は外観五重、内部七階で三基の小天守と渡櫓で繋がれて連立天守郭を構成する。日本の城郭建築最盛期を代表するものとして重要であり、江戸時代以前に建設された天守が残る現存12天守の一つである。
- 東小天守の宝珠の鬼瓦
- 東小天守内室にある軸組構造模型。昭和の大修理の際に1/20で製作された
- 大天守一階・内陣
- 大天守1階二の渡櫓への二重扉
- 大天守二階
- 大天守二階
- 大天守二階・武具掛け
- 開き窓の千鳥破風の内部
- 大天守二階から三階への階段
- 大天守三階の東大柱
- 大天守五階
- 大天守五階の東大柱と六階(最上階)への階段
- 大天守最上階幻の窓
通常、天守の屋根にある鯱瓦は雄と雌とで一対になっているが、姫路城は二体とも雌の鯱である。姫路城の鯱瓦はなぜか1体のみしか残されていなかったため、「昭和の大修理」の際に同じ形のものを作成して載せたそうである。屋根の瓦と瓦の継ぎ目である目地に漆喰を施し耐久性を高めている。
- 大天守の鯱瓦 / 屋根瓦
- 大天守から西ノ丸方面の眺め。手前に菱の門、奥に百間廊下が見える。
- 中央右に化粧櫓が見える。
- 六葉釘隠し
- 大天守地階の流し
- 西小天守と水六門
- 乾小天守(左)と西小天守
- 備前丸跡から見た天守
- 備前丸跡から見た天守
- 城内井戸
- 備前門
- 二の丸から見た天守
- お菊井戸
- 大天守鯱瓦の公開展示
- 扇の勾配
- 二の丸から見た石垣と天守
- 二の丸から見た石垣と天守
西ノ丸
姫路城の西の丸には「西の丸長局(にしのまるながつぼね)」と「千姫化粧櫓」がある。化粧櫓は、千姫のためにつくられたもので、千姫がこの櫓を休息所としたので化粧櫓と呼んでいた。また千姫に仕えた侍女たちが居た場所を西の丸長局(通称「百間廊下」)と呼んでおり、千姫は毎朝この廊下から男山を拝んでいたと伝えられている。
姫路駅近くの炭焼あなご「やま義」で昼食。グルメ雑誌に何度も紹介される人気店で、店の前には行列ができていた。
好古園
好古園は、姫路城を借景に1992年(平成4年)に開園した池泉回遊式の日本庭園である。広さは約1万坪で、発掘調査で確認された姫路城西御屋敷跡・武家屋敷跡・通路跡などの地割を活かし、門や塀をくぐるごとに9つの趣が異なった庭園を楽しめる趣向になっている。
- 入口
- 屋敷門
- 段々の滝
- お屋敷の庭
- 潮音斎から見た雄滝
- 屋敷内に飾られた人形
- 双樹庵と茶の庭
- 鷺望亭と夏木の庭
- 池に飛来したアオサギ
- 築地塀
- 市鳥「白鷺」と市花「サギソウ」が描かれている姫路市の消火栓 / 仕切弁
- 市花「サギソウ」が描かれている姫路市のマンホール
丹波焼
丹波立杭焼は丹波焼または立杭焼とも言われ、主に生活雑器として使われている。起源は平安時代で約800年の歴史があり、日本六大古窯の一つに数えられている。
登窯
篠山市今田町上立杭に現存する丹波焼の「最古の登窯」は1895年(明治28年)に築窯され、兵庫県の有形民俗文化財に指定されている。この登窯は経年劣化が激しく2014年(平成26年)度より2カ年かけて大修復を終えた。登窯の近くには環境庁の全国巨木調査で種別日本一と認定された大アベマキがある。
窯元めぐり
篠山市今田町(こんだちょう)には約60軒の窯元が並び、歩いて窯元めぐりをすることができる。
道路には陶器のタイルが埋め込まれている。
立杭陶の郷(たちくいすえのさと)
日本六古窯の一つ「丹波焼」産地の中心にある丹波伝統工芸公園・立杭陶の郷は、伝統的工芸品である「丹波立杭焼」の振興と丹波篠山市観光の拠点施設である。伝産会館には古丹波の名品の数々と、現代作家約50名の最新作が展示されている。また、窯元横丁には約50軒の丹波焼の窯元の作品を展示販売している。
- 展示室
- 窯元横丁
- 窯元横丁の内部
- 市の花「サルビア」が描かれた兵庫県加西市のマンホール
- 町の木「松」と町の花「サツキ」がデザインされた丹波市春日町のマンホール
- 町の花「サギソウ」と「丹波立杭焼」が描かれている旧今田町のマンホール
- 宿泊先の「フジヤホテル」/ 食事
2016年11月4日(金)晴れ
立雲峡
翌朝は朝来市にある「天空の城」の展望スポットを訪れた。朝来山の中腹にある立雲峡は県立の自然公園である。登山道を登れば3か所の展望台があり、運が良ければ、雲海に浮かぶ「天空の城」竹田城跡の姿を望むことができる。特に秋から冬にかけての雲海シーズンになると見物客が押し寄せて相当混雑するそうだ。
竹田城跡
竹田城跡は、山城遺跡として全国でも稀な完存する遺構であり、虎が臥せているように見えることから「虎臥城(こがじょう)」とも呼ばれている。晩秋のよく晴れた早朝に朝霧が発生することがあり、この雲海に包まれた姿は天空に浮かぶ城を思わせ、最近では「天空の城」・「日本のマチュピチュ」とも呼ばれるようになった。廃城から400年を経ていながらも石垣がほぼそのままの状態で残っており、現存する山城としては日本屈指の規模で、日本100名城にも選ばれている。
竹田城跡に登るルートは5コースほどあるが、今回選んだ表米神社登山道は、急な階段と山道が続くかなりハードなコースだ。
竹田城跡の入口で観覧料を支払い、更に山道を登ってやっと城壁にたどり着く。城跡の規模は東西に約100m、南北に約400mあり、「完存する石垣遺構」としては全国屈指の規模を誇る。
竹田城跡のふもとには、善證寺、常光寺、勝賢寺、法樹寺の4つのお寺が立ち並んでいる。竹田城ともつながりの深い4つのお寺は元は武家屋敷で、このあたりは寺町通と呼ばれている。特に法樹寺には竹田城最後の城主である赤松広秀の墓碑があり、常光寺には初代城主の太田垣光景の墓碑とされる石塔が残っている。
余部橋梁(あまるべきょうりょう)
朝来市から日本海側へと向かう。現在の余部橋梁は2010年(平成22年)に共用が開始された2代目である。旧余部鉄橋は1912年(明治45年)1月に完成した鉄橋で、山陰本線の鎧駅と餘部駅との間に位置しており、全長310.59m、橋脚の高さ41.45mでトレッスル式鉄橋としては日本一の規模を誇っていた。新しくコンクリート橋に架け替えられたが、JR餘部駅側の3本の橋脚は現地保存され、余部鉄橋「空の駅」展望施設として生まれ変わった。
余部鉄橋「空の駅」は地上高約40mの展望施設で、日本海の美しい眺めが楽しめるほか、余部橋梁の線路跡を歩くこともできる。
- 余部鉄橋「空の駅」の展望施設
- 展望施設からの眺め
- 余部橋梁の線路
- 餘部駅に停車する列車
- 余部橋梁
-
- 余部橋梁を渡る列車
- 日本海を背景に立つ余部埼灯台と町の花サツキが描かれた旧香住町(現美方郡香美町)のマンホール
湯村温泉
湯村温泉は平安時代(848年)開湯といわれる山峡にある閑静な湯治湯である。1981年のNHKドラマ「夢千代日記」(吉永小百合主演)のロケ地としてその風情が全国に知られるようになった。
荒湯は湯村温泉の源泉で、98度の熱湯が毎分470リットルも湧出しており、高温の湯壺を使って卵や野菜、芋をゆでる事ができる。
湯村温泉は「夢千代の里」とも称され、温泉街の中心部には「夢千代の像」が建てられている。
名物の温泉たまごをモデルにした湯村温泉のマスコットキャラクター「湯~たん」。夜な夜な現れ、荒湯の源泉の入った湯たんぽを寝ている人の布団の中にそっとしのばせてくれるらしい。
- 湯村温泉のマスコットキャラクター「湯~たん」
- 町の木クロマツ、町の花ササユリ、町の鳥イワツバメ、特産の松葉ガニ、川下祭りの麒麟獅子をデザインした旧浜坂町(現・新温泉町)のマンホール
- 町の花サクラ、町の木モミジ、町の鳥ウグイスをデザインした旧温泉町(現・新温泉町)のマンホールとタイル
- 宿泊先の豊岡駅前「ホテル大丸」/ 食事
2016年11月5日(土)晴れ
玄武洞公園
玄武洞(げんぶどう)は、兵庫県豊岡市赤石の円山川東岸にある洞窟である。由来をみると、160万年前に起こった火山活動で流れ出した溶岩が冷え固まる時に、規則正しい割れ目「柱状節理」を作り出し、形が亀の甲羅の模様に似ている事から、架空の生き物である玄武から名前をとって玄武洞と名付けられた。玄武洞は、清龍洞、白虎洞、北朱雀洞、南朱雀洞とともに玄武洞公園として整備され、観光スポットして親しまれている。玄武洞と清龍洞は、地質的な価値と自然の作り出した節理の美しさや学術的な重要さから、1931年に国の天然記念物に指定されている。
青龍洞(国の天然記念物)は高さが33mあり、15mにも及ぶ長い柱状節理が見られる。
玄武洞(国の天然記念物)は、玄武洞公園の中心にある最も大きな洞窟で、玄武岩のみごとな柱状節理を見ることが出来る。
城崎温泉
城崎温泉は豊岡市城崎町にある温泉で、平安時代以前から知られる長い歴史を持つ。志賀直哉の短編小説「城の崎にて」でも知られる。街の中心を流れる大谿川(おおたにがわ)沿いに温泉街が形成され、川べりには柳が植えられている。城崎温泉では7つの外湯を浴衣と下駄でぶらぶら巡る「外湯めぐり」が定番である。
- 城崎温泉駅のすぐ隣にある日本最大の駅舎温泉「さとの湯」
- 合格祈願・交通安全、開運招福の湯「一の湯」
- 子授安産、子授けの湯「柳湯」
- 火伏防災・良縁成就、美人の湯「御所の湯」
- 温泉街の中心を流れる大谿川 / 護岸に使われた玄武岩
-
- 大谿川沿いの風景
- 志賀直哉が好んで散策していたという「なおや散策の道」(木屋町通り)
- 四所神社
- 湯の里通り
- 城崎温泉駅前通り
- 城崎温泉の駅前に設置されている「下駄奉納板」
丁度、城崎温泉駅リニューアル完成式典が行われていて、城崎ゆかりのゆるキャラ「玄武岩の玄さん」も玄武洞から駆けつけた。
- 城崎温泉駅リニューアル完成式典
- ロボット「pepper」/ 玄武岩の玄さん
- 大谿川に架かる太鼓橋とサクラが描かれた旧城崎町のマンホール
- 大谿川に架かる太鼓橋の上に佇む浴衣姿の女性と町の木シダレヤナギが描かれた旧城崎町のマンホール。城崎文芸館への案内板を兼ねている。
城崎温泉を後にして日本海に沿って京丹後方面へと向かう。
如意寺
如意寺は、門前に穏やかな久美浜湾が広がり、豊かな自然に恵まれた絶景の地にある。日本で唯一の建築様式である重層宝形造の不動堂に祀られる日切不動尊は特に有名である。広い境内に植えられた数百種の花木や山野草が一年を通して次々と花開く「花の寺」でもある。特に境内周辺に密生するミツバツツジは四月の上旬より満開となり多くの参拝客で賑わう。
久美浜温泉湯元館は、日本海に面した静かな港町の田園の中に立つ一軒宿で、湯量豊富な源泉掛け流しの温泉である。
京丹後から宮津を経て美山かやぶきの里へと向かう。
美山かやぶきの里
美山町内には数多くのかやぶき民家が現存しているがその中でも、北集落には50戸のうち39棟がかやぶきの屋根で、伝統的技法による建築物群を含めた歴史的景観の保存度への評価も高く、1993年(平成5年)に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。「美山かやぶきの里」は、日本の原風景に出会える場所として人気を博している。
美山地区の民家は「入母屋造」で、屋根の上部は家の前後に傾斜し、その下から四方に屋根が伸びている。特に美山の民家は「北山型」と呼ばれ、ふっくらと丸みを帯びた柔らかな曲線が特徴的である。
- 美山かやぶきの里
- 美山かやぶきの里
- 観光客で賑わう美山かやぶきの里
- パンパスグラスと民家
- 民家
- 民家
- 稲荷神社と樹齢400年の栃の木
- 柿の木と苔むしたかやぶき屋根の民家
- 屋根吹替中の家
- 民家は同じ向きに建てられている
- バス停
小高い場所にある展望所は、かやぶきの里全体が見渡せる絶好の場所である。
若狭神子の宿
3泊目の宿は、福井県常神半島の神子にある民宿「若狭神子の宿寺本」である。神子は若狭の中でも好漁場として知られているところなので、食事には新鮮な海の幸が提供される。
2016年11月6日(日)曇り後晴れ
神子地区は若狭湾に面しており、宿の直ぐ前には神子漁港がある。アオリイカ漁が盛んだ。
瓜割の滝
瓜割の滝は、福井県三方上中郡若狭町にある湧水から生ずる滝で、1985年(昭和60年)に環境庁指定の全国名水百選に選定された。また1996年(平成8年)には国土交通省の「水の郷」に認定されている。滝の水が瓜も割れるほどに冷たいことから「瓜割の滝」と名付けられた。
明通寺
明通寺は、806年(大同元年)に征夷大将軍坂上田村麻呂が、蝦夷征伐などによる多くの犠牲者を慰霊するために創建したと伝わる古刹。鎌倉時代建立の本堂と、総高22mの三重塔は国宝である。平安後期の木造薬師如来座像、木造深沙大将立像、木像造降三世明王立像、木像不動明立像4体が国の重要文化財に指定されている。
気比神宮
気比神宮は、敦賀市にあり702年(大宝2年)の建立と伝えられている。高さ約11mの大鳥居は重要文化財に指定されており、春日大社、厳島神社と並ぶ日本三大木造大鳥居の一つである。
遊行の砂持ち(ゆぎょうのすなもち)は、鎌倉時代の1301年(正安3年)に、時宗の遊行上人二世の他阿が越前国に遊行(布教)した際、気比社(のちの気比神宮)の参道がぬかるみ民衆が難渋しているのを見て、自ら砂を運び修繕したという故事に由来する。気比神宮に程近いところに、遊行の砂持ちの像がある。
シンボルロード
敦賀駅前から気比神宮にかけて続くアーケードに沿った道はシンボルロードと呼ばれ、「銀河鉄道999」や「宇宙戦艦ヤマト」にまつわるブロンズ像がずらりと28か所に設置されてる。ブロンズ像は、1999年に敦賀港開港100周年を記念して、市のイメージである「科学都市」「港」「駅」と敦賀市の将来像を重ね合わせて設置されたものである。
- 星野鉄郎とメーテル
- 銀河鉄道999
- 旅立ち
- 別離
- アナライザー
- 別れ~出会い
- サーシャ
- 佐渡酒造
- 敦賀駅
- シンボルロード
- お食事処「うおさき」で昼食 / サバの浜焼定食 / 煮魚定食(赤メバル)
- 「気比の松原」「立石岬灯台」敦賀の鳥「ユリカモメ」を描いた敦賀市のマンホール
かずら橋
かずら橋は福井県今立郡池田町の足羽川渓谷にかかる橋で、つる性植物のシラクチカズラ(サルナシ)で造られた吊り橋である。橋は全長44m・幅1.8m・高さ12mである。
帰路、北陸自動車道の有磯海SAで夕食を摂り、帰宅した。